2011年6月12日日曜日

北大は有人宇宙開発の中心?

前のブログ投稿で紹介させていただいたように、6月10日の毎日新聞の「論点」に拙稿が掲載されました。もともとは4月12日のガガーリンによる初の有人宇宙飛行から50年を記念した特集になるはずだったのですが、東日本大震災から一カ月ということで、紙面の構成が大きく変わってしまい、6月10日まで延期という形になっていました。ちょうど古川さんが宇宙ステーションに向かって飛び立った時期でもあったので、それなりに意味のあるタイミングにはなりましたが。

他の寄稿者を知らなかったのですが、毛利衛さん、伊藤献一さんと並んで掲載されたので、ちょっとびっくり。毛利さんはご存知の通り、日本で二番目の宇宙飛行士(一番目は秋山豊寛さん、元TBS記者)で、知らない人は少ないと思います。伊藤さんは北大の工学部の名誉教授で、現在は北大が進めている小型ロケットを事業化しようとするHASTICというNPOの理事長をされています。私は北大勤務、伊藤先生は北大名誉教授、そして毛利さんは北海道の余市で生まれ、北大理学部出身。この毎日新聞の特集は、有人宇宙飛行と北海道を意図的に結び付けようとしているのか?とちょっとうがった見方をしたくなりました。北海道の人間としてはうれしいところですが、他の地域の人が見たら引いてしまうのでは?とちょっと心配。

また、この特集で驚いたのは、意外にも毛利さんの議論が有人宇宙飛行推進一辺倒ではなかった、という点です。最初から「有人宇宙開発が今後、同じように日本社会を豊かにするために必要だろうか」という問題提起をし、「この50年を区切りとして、世界にとって有人宇宙開発は新しい段階に突入しなければならないと思う」と述べ、社会が有人宇宙飛行の「大義」を共有するか、宇宙観光ビジネスへの道を進むかの二つの道しかない、と論じたうえで、日本は「単独での有人宇宙開発には向いていない」と断じている。その理由として、有人宇宙開発の意義が社会で理解されていないからだと述べる。ただ、「人類が持続するために国際協力で行う有人宇宙開発への挑戦には、日本人の生命を賭してでも一緒に参加する志が社会になければならない」としている。

これまでJAXAが発信する「有人宇宙飛行は夢や希望だ」といったフワフワした言説に飽き飽きしていたところに、JAXAの宇宙飛行士であった毛利さんから、日本には有人宇宙飛行を支える社会的な大義がないという話が出てくるとは想定していなかった。その意味では大きなサプライズである。有人宇宙飛行全体を否定しているわけではないとしても、これまでの日本の有人宇宙飛行のあり方に一石を投じる文章であり、うれしく思った。ただ、この文章が、これまで「有人宇宙飛行のアイコン」としてJAXAのPRをしてきた「毛利宇宙飛行士」という立場とどう整合性をつけているのか、ちょっと気になるところ。すでにJAXAの職員ではないとはいえ、JAXAが有人宇宙飛行のPRのトーンを変更したというメッセージと受け止めるべきなのかどうか、思案している。

伊藤さんの論稿は、国に依存せずにロケット開発を進めるHASTICならでは、という議論になっており、興味深い。「宇宙開発はすべて国家の責任で推進し、国が目的を定め安全を保証するという神話から脱却する」という新しい視点を強調する。伊藤さんも「有人宇宙飛行を進めるにあたって、大きなリスクを伴うことを是とする文化の醸成が必要」と述べ、有人宇宙飛行には社会的な支持がなければいけないという認識を示している。また「現状の研究開発の延長上では新たな大義を有人宇宙開発に設けることは難しい」と暗に研究開発機関であるJAXAが有人宇宙飛行を推進することを批判している。結論として「手の届く宇宙」にする必要があると訴え、低コストによる打ち上げを目指すHASTICの目的に重ね合わせた有人宇宙飛行論を展開している。ただ、最後には「有人宇宙飛行は(中略)エンターテイメントであり、難しい大義は必要ない。楽しいから宇宙へ行く。思い切った原点復帰がいま必要だ」と論じ、やや矛盾した結論となっている。

毛利、伊藤両氏の議論に共通するのは、有人宇宙飛行は社会的な支持と、リスクを許容する文化が必要という点であり、そうした支持と新しい文化は努力すれば獲得できるというニュアンスをもって話をしている点である。実は、日本の宇宙開発の歴史の中では、常にこの社会的支持と宇宙への挑戦とその失敗を受け入れる文化が必要という議論がずっとなされており、それ自体は新しいものではない。しかし、過去40年間同じことを言い続け、結局、社会的支持も盛り上がらず、新しい文化も生まれていない点から考えると、そうした社会的変化を期待することは難しい。言いかえれば、毛利氏の議論を踏まえて言えば、そうした社会的変化が起きなければ、結局、日本は有人宇宙開発をする意義は持てない、ということになるだろう。

すでにスペースシャトルの打ち上げはあと一回となり、2020年には宇宙ステーションの運用が終了しようとしている。アメリカも有人宇宙開発の方向性を見失っており、官民を挙げて宇宙開発の新たな方向性を模索する研究が進められている。日本と同様、独自の有人宇宙ロケットをもたないヨーロッパも、宇宙ステーションの運用終了をにらんだ新たな戦略の組み立ての議論を始めている。中国は独自の有人宇宙飛行計画を続けつつ、アメリカの方針転換を受けて、中国の戦略的目標の再定義の議論を始めている。しかし、日本でそうした議論を進めようという機運は見られない。

東日本大震災の復旧・復興と、厳しくなる一方の財政状況の中で、日本が取ることができる選択肢の幅は少ない。日本が有人宇宙飛行の議論を進めないということは、もうすでに有人宇宙飛行を諦めた、ということなのだろうか?それとも、真剣に有人宇宙飛行を進めようという意思が政府にもJAXAにもないということなのだろうか?いずれにしても、日本が有人宇宙開発を止めることになれば、これまでの投資は何だったのか、という問いに答えなければならなくなる。誰かその答えを用意しているのだろうか?

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