2012年11月21日水曜日

宇宙政策委員会の「公開」について

ツイッター上で科学ジャーナリストの松浦氏(@ShinyaMatsuura)が提起した、宇宙政策委員会の公開について、ちょっとした議論になったので、ここで私の考えをまとめておきたい。なおツイッター上の議論はhttp://togetter.com/li/410648にまとめてあるので、こちらを読んでいただくと議論の流れがわかりやすくなるかと思います。

基本的な論点は、宇宙政策委員会の議論は公開すべきであるという松浦氏の意見に対し、私はその必要はないと考えているというところにあります。松浦氏と私は当然立場も違えば考え方も違うので、議論がかみ合わないのも仕方がないのですが、やはり宇宙政策委員会での審議は公開すべきではないというのが私の結論です。

私はすでに「原子力安全委員会の公開について」というテーマでブログに書いているので、そちらとも議論が重複するところはありますが、宇宙(や原子力)のように安全保障に関連する技術であり、国家が深く関与している技術政策を巡る審議をどう取り扱うかは難しい問題だと思っています。それだからこそ、安易に公開することに抵抗があります。なお、ここで「公開」と言っているのは、審議をオンタイムで公開するということを意味しており、事後的に議事録を公開することを指しているわけではありません。

その理由として、第一に審議を公開することは審議そのものを形骸化させる懸念があるからです。原子力安全委員会もそうでしたが、審議を公開し、人々の前でライブで公開するということは、審議を担当する委員が、周りの目を気にし、自分の発言を当たり障りのないものにしようとする意識が働く可能性を高めます。それは必然的に、事前の打ち合わせや水面下での交渉でだいたいの落とし所を決め、表に出てくるときはすでに大方の流れが決まった中で審議をするという形になってしまう可能性があると考えています。なので、結局、公開をしても、それが形骸化したものであれば、闊達な議論や審議プロセスの透明化に資するものにはならないのではないかと考えています。

第二に、宇宙政策委員会と宇宙開発委員会の性格の違いを踏まえた上で考えると、審議の内容がより複雑な利害関係者を巻き込むため、より一層公開の場での審議にふさわしくないと考えています。かつての宇宙開発委員会は、簡単に言えば「宇宙ムラ」の中の議論であり、関係者は文科省を中心に、わずかな数の省庁と部局にかかわり、多くの審議事項がJAXAの活動を巡るものでした。しかし、宇宙政策委員会が扱う内容は、単なる宇宙技術の研究開発のプロジェクトだけでなく、安全保障の問題も含めた、幅広い利用の問題を取り扱い、関連する省庁も非常に多くなります。また、宇宙政策委員会で審議し、決定する内容は必然的に他の省庁の予算や権限にも影響するため、本気で審議をするとなると、各省庁のエゴや利害が見えてくるようになります。そうしたことを見せたくない省庁は、どんどん水面下に潜ってしまい、国民の知らないところで政策決定がなされるようになり、表に出てくるのは台本で書かれた表向きの議論しかない、という状況になります。

第三に、安全保障も含む宇宙利用ということになると、宇宙政策自体が外交的、対外的な意味合いを持ってくるようになります。一般に外交政策を公開の場で決めることはしないのと同様に、宇宙政策も公開の場で決めるような性質のものではなくなってきていると考えています。外国との駆け引きや戦略的な調整が必要になってくる中で、公開の場で審議しなければならないということになると、日本に情報がもたらされなくなる、というリスクもあると考えています。

これは宇宙開発委員会の時代にもあった話で、たとえばロケットの失敗に関する報告が公開されると、詳細なエンジンの設計や不具合の報告が公開されることになりますが、これは輸出管理規制における「みなし輸出」と呼ばれる規制に引っ掛かる話になってしまいます。「みなし輸出」とは、実際の物品の輸出ではなく、技術情報や設計図など無形の技術が流出することを指し、こうした技術が良からぬ国家にわたることで、その国の軍事的能力を高める可能性を阻止するための規制です。

また、宇宙政策委員会でも宇宙状況監視(SSA)や滞空型無人航空機などの問題が議論されますが、そうしたプログラムについては、日本だけでなく関係する他国の問題にもなってきますので、日本の安全保障政策やグローバルガバナンスのための情報共有の問題などが含まれてきます。こうしたテーマを議論するに当たり、公開の場で審議をするのは適切ではないと考えています。

このように、公開をすることによってマイナスの側面が大きく出てくるということを懸念しているため、宇宙政策委員会での議論は公開にしない方が良いと思っています。

ただし、先にも述べたように、ここでの「公開」というのはオンタイムで、目の前にジャーナリストや国民がいる状態での「公開審議」を指しています。このようなオンタイムの公開はしない方がよいと思っていますが、最終的な議事録の公開はすべきだと思っています。政策決定を判断するうえで、議事録をきちんと誠実につけ、それを公開することは民主主義国家の責務だと考えています。

しかし、議事録の公開も全てを即時に公開する必要はないと思っています。安全保障や各省庁間の利害調整と言った、表に出しにくいものの基準を明示的に決め、その基準に該当するものは3年とか5年といった時間を置いて公開するが、それ以外のものは審議の一週間後に公開する、といった原則で運用することは可能だと考えています。

なので、結論として、このようなオンタイムの公開をせずに一定の基準を設けた上での議事録の公開という形であれば、より闊達に審議が行えると考えており、また、そうした一定の時間を置くことによって、より適切な議論の場を作り出すことが出来るのではないかと考えています。

2012年11月5日月曜日

暗闇で考えたこと

日本でも大きく報道されたハリケーン・サンディは私が住むニュージャージー州を直撃し、大きな被害を出した。日本での報道はニューヨークの被害に関するものが多いが(経済的、政治的インパクトや記者の所在地を考えれば当然だが)、ニュージャージーも沿岸部を中心に大きな被害が出ており、浸水や停電、物資の不足など全域にわたって被害が出ている。

私個人はハリケーンが接近する直前にカリフォルニア州にあるスタンフォード大学での会議に出るため、東海岸を離れており、直接ハリケーンの猛威を目にすることはなかったが、出張中も気が気ではなく、カリフォルニアでは「全く役に立たない」と言われているWeather Channelにくぎ付けであった(カリフォルニアは常に天気が良いので、天気予報が不要)。

ハリケーンが過ぎ去った直後に空港が再開したため、ちょうど帰りの便に間に合い、予定通り東海岸に戻ってきたが、鉄道が止まっていたため、空港から家まではタクシーで帰るしかない状態であった。しかも、主要な幹線道路でも倒木のため通行止めになっている区間が多く、住宅街の中をカーナビを頼りに行ったり来たりしながらの帰り道となった。

家にたどり着いた時には既に家は停電していた。家にいた妻と娘は日曜日の夜から嵐の吹きすさぶ中、停電した家で留守番をしていたのだが、その間、傍にいれなかったのを申し訳なく思うと、「むしろいない方が食糧の減りが少ないから良かった」と、頼もしくも悲しい一言をいただいた。いずれにしても、この嵐と停電の中を切り盛りしてくれた妻には感謝してもしきれない。

さて、出張から帰ったのが水曜日だったが、金曜日の夜まで電気は復旧せず、オール電化の家であるのが災いして、急激に下がる気温の中でも暖を取ることができず、かろうじて蝋燭が明かりと火力と暖房の役割を果たすという状況であった。幸い、近所のスーパーマーケットが自家発電で営業していたため、食料や水の補給の心配はあまりなかったが、凍えるような室内で、蝋燭の火だけを使ってお湯(といってもひと肌より少し暖かい程度)を作り、缶詰の食糧を温め、その明かりだけを頼りに本を読むといった生活が2日続いた。

【東日本大震災の被災者の方々を想って】

こんな環境の中で真っ先に思いが至ったのは、昨年の東日本大震災で津波の被害にあった人たちのことであった。私も昨年の3月11日には東京に出張しており、帰ることもままならなかったのでホテルの宴会場の床で一晩寝るという経験をしたが、電気も食糧も暖房もある状況だったので、一晩だけの問題で済んだが、津波で家や家族を失った人たちが真っ暗な中、この先どうなるかもわからない状況に置かれて、かろうじて避難している姿をテレビで見たことが、今回の停電でいやでも頭によぎった。

今回のハリケーンは震災と異なり、いつ上陸するのかがある程度わかっており、どの程度の備えをしておけばよいかわかっていただけに、心の準備も物資の準備も出来ていたわけだが、東日本大震災の被災者の方々は、突然襲ってきた地震と津波ですべてを失ってしまったわけだから、その衝撃ははるかに大きいものだろうと思う。また、ハリケーンで家を失った人たちも多くいたが、多くの被災者は停電や物資の不足といった被害でとどまっており、時間が経てば復旧することが見込める被害であっただけに、先の見えない不安という点でも、それほど大きなものではなかった。

とはいえ、停電の中で生活することは不便であると同時に、自力で問題を解決できない苛立ちやいつ復旧するかわからないという不安、さらには「本来ならば○○であるのに、それができない」という不満は募っていくものである。特に暖房が止まっていたことで摂氏で5度を下回る気温になる朝晩は厳しいものであった。

東日本大震災の被災者と比べれば、全く問題にならないほどの被害であっても、これだけ精神的にも負担がかかると考えると、震災の被害者の方々の心中を推し量ることは果てしなく難しいということを強く感じた。それは、軽度であれ被害者の立場になって、被害のない地域(特に日本からの仕事のメールなどもこちらの状況はお構いなしにやってくる)との断絶感のようなものを感じながら、きっと震災の被害者ではないところに立っていた自分は、震災の被災者の方々のことを考えているつもりでも、実感を伴ったものではないのだ、ということを痛感することになった。

【大統領選への影響】

さて、停電で何もすることがない状態(実際は限られた資源を使って、何とか最低限の情報収集や生活をしなければいけないのでやることは多かったが、頭を使うことはそれほどなく、労働集約的な仕事が多かった)で、色々とアメリカにおける危機管理の問題について考えを巡らしていた。

まず気になったのは大統領選真っただ中にいるオバマ大統領の影が薄く、ニュージャージー州の知事であるクリス・クリスティが前面に出ていたこと。これは災害対策の中心には州知事が座ることになっており、連邦レベルの機関であるFEMA(連邦緊急事態管理庁)は側面の支援をするという形式になっているからなのだが、数年前のハリケーン・カトリーナではブッシュ大統領とFEMAの動きが遅く、被害への対応が出来ていなかったということで強く批判されていただけに、今回のハリケーンでは大統領が前面に出てくるものと想定していた。

しかも、大統領選の直前、いわゆるOctober Surpriseのタイミング(October surpriseについてはブログに書いたのでご参照ください)であり、大統領選自体が極めて僅差の激戦になっているだけに、オバマ大統領はこれを機会に「大統領らしさ(Presidential)」を押し出し、颯爽と事態を裁いていけば指示を高めることができると思っていた。確かにオバマ大統領は選挙キャンペーンを一時中断し、被害の大きかったニュージャージーのアトランティック・シティ(カジノの街として有名)を訪れたし、共和党出身でロムニー支持だったクリスティ知事と協力することで、「大統領らしさ」は多少演出していた。しかし、「FEMAの予算は削る」とか「災害対策は州で十分」と言っていたロムニーを攻撃するには絶好の機会であるにも関わらず、そうした発言は一切なされなかった(民主党寄りのメディアはこぞってロムニー攻撃の材料を見つけてきたが)。

このオバマの対応は第一回の大統領討論会でも感じた、オバマの稚拙さ、ナイーブさ、優等生過ぎる態度につながっているような印象を受けた。一方でオバマの姿勢は紳士的であり、相手のミスに付け込んだり、被災者を政治の道具のように扱うということをしなかった、という評価もできるだろう。しかし、そうした甘さがロムニーのようにコロコロと発言を翻し、しばしば事実でもないことを担ぎ出してオバマを攻撃するという相手の前に、何となくひ弱な印象を与えてしまうような気がする。

こうしたオバマの甘さ、おとなしさはどこから来るのか、と言う話はまたゆっくり考えてみたいが、少なくとも今回のハリケーン災害でオバマは失点もしなかったが得点もしなかったという印象だった。結果として、このハリケーンは大統領選の行方には大きく影響しないだろう。ただ、被災地での投票が困難になったり、電子投票が出来なくなったため、紙の投票用紙が用いられ、その結果、開票が遅れるといった選挙事務上の影響はある。

【アメリカにおける危機管理とResilience】

今回のハリケーンではアメリカにおける危機管理の一端を垣間見ることができて、その点ではいろいろと考えさせられるところがあった。

まず背景として押さえておかなければいけないのは、昨年にハリケーン・アイリーンがアメリカ北東部に上陸し、大きな被害を出していたということ。ニュージャージーでも3-5日間の停電があったため、すでにハリケーン対策を昨年から始めていたことは大きな違いを生んでいる。アイリーンが直撃した際は、準備が出来ていないところが多く、電源を失って命を失った人や商業施設にも大きな被害が出たが、その教訓から多くの家で自家発電機が準備されており、スーパーなどでも発電設備を備えているところが多かった。

しかし、問題はガソリンスタンドだった。自家発電機の多くはガソリンで動くが(ガスで動くものもある)、タンクを満タンにしていても、一日くらいしか持たない。そのため、ガソリンスタンドには発電機用のガソリンを得るためのタンクを持った人が長蛇の列を作ったが、ガソリンスタンド自体が停電していて、地下のガソリンタンクからポンプでくみ上げることができない、という状態のスタンドが多く見られた。それらのスタンドも自家発電機を用意していたが、それでも不十分という状況であったようだ。

このような対処を見ていると、アメリカにおける危機管理というのは、リスクの発生確率を軽減するというところに向けられているのではなく、被害が起きても、その社会的インパクトを軽減するというところに向けられているように感じた。それは日本における危機管理とは大きく異なるものである。

日本における危機管理は、できるだけ被害が生まれないようにするため、リスクの発生確率を下げることに重点が置かれているように思う。建物の耐震設計やインフラの災害への耐性は、アメリカのそれとは大きく異なる。アメリカのインフラの方が圧倒的に脆弱であり、今回のハリケーンによる停電や変電所の事故、鉄道の運休、地下鉄の浸水防止など、発生確率を下げるための努力がなされていれば防げるものも数多く散見された。しかし、そうしたインフラへの投資が様々な理由で後手に回っており、それだけに災害に対してインフラが大変脆弱であることを身をもって感じた。

もちろん、日本のインフラも災害に対して完璧に対応できているわけではない。その代表例は福島第一原発であろう。津波に対する脆弱性に対する手当をしていなかったために、あれだけの大災害が起きたわけだが、同時に、より震源に近かった女川原発がなんとか事故にならなかったのは、津波の被害に合わない対策が出来ていたのと同時に、地震に対する耐性は高かったことの証明と言えよう。また、インフラの脆弱性といえば、関東地方で雪が降るとすぐに鉄道が止まるというのも、その脆弱性の一端といえるだろう。これは北海道に住まいのある身からすると、考えられないことだが、普段から雪が降る確率が低い地域である関東地方では、降雪対策をするよりは、雪が降った時には電車を止めてしまう方がよい、という考え方である、ということを意味している。

原発の事故と降雪時の鉄道運休を並べて議論するのはいささか問題があるかもしれないが、日本のインフラが常に災害に対して完璧に対応しているわけではない、という例として見ておいてほしい。福島第一原発の場合は、完全な瑕疵による脆弱性の表出であったのに対し、降雪時の運休は意図的に脆弱性を維持している状態であり、この両者が全く違うことも改めて指摘しておく。

さて、このようにある程度の脆弱性を抱えながらも、主として事故が起こることを未然に防ぐことにエネルギーを注ぐ日本では、逆に想定を超えた災害に直面した時の備えが決定的に欠けるという悪い面がある。その一つの例が津波に対する10メートルの防潮堤を二つも持っていたがゆえに、避難が遅れ、大きな被害が出た宮古市の田老地区であろう。津波による事故を防ぐために巨大な防潮堤を作ったことで、被害が出ないということを想定してしまったため、想定を超えた災害の場合の備えが欠けており、その結果、大きな被害がでた。同じことは福島第一原発のケースでもいえるだろう。「安全神話」の下、原発事故は起こらない、と想定してしまったことで、実際に事故が起きた際の対応が滅茶苦茶な状況になってしまったのである。

それに比べると、アメリカは最初からインフラが脆弱と言うことが想定されており、被害が出ることはある程度織り込んだうえで、いかに事故に対応していくのか、ということを常に考えているという点で、日本における危機管理とは考え方が大きく異なるという印象を受けた。つまり、発生確率を下げるための投資をするよりも、実際に被害が生じた際に、その被害を耐え、早急に復旧するということに全力を注ぐという考え方である。もちろん、アメリカも可能な限り、事故の発生確率を下げようという努力はしている。しかし、電線網の地中化のように巨大な投資が必要とされるような案件については、それだけの投資をするよりも、何年に一回か生じる被害に対処する方が合理的という判断なのかもしれない。いずれにしても、アメリカの場合、発生確率を下げるということ自体に重点が置かれていないことが多くの人に理解されているため、その事故や災害が起こっても何とか生き延び、そして復旧するというところに重点が置かれているのだと理解している。

その対処として発達しているのが保険である。アメリカにいると生命保険、医療保険の他、損害保険の広告などを多数見かけるが、様々なリスクに対する保険が充実しており、様々な事故や災害が起こるという前提で保険をかける人が多い。特に今回被害が多く出たニュージャージー州の沿岸部の住宅ではほとんどの人が洪水や浸水の保険をかけていたようである。

また、上記でも述べた自家発電機が多くの家庭や商業施設、公共施設に備えられているというのも、被害を限定するための備えと言えるだろう。昨年のアイリーンの時にはそうした備えが十分ではなかった(停電が想定よりも長かった)という意味では、アメリカでも災害の発生確率が高いということが十分認識されていなかったということになるが、それでも昨年の教訓から、今年はしっかり自家発電機を備えている家庭が多いというのは、災害に対する対処が学習によって向上したということになるだろう。

こうした、災害や事故に対する対処から回復するしていくことを英語でResilienceという。日本語にすれば「回復力」という訳になるだろうが、この回復力の強さというのが災害や事故の際には重要になってくる。アメリカの場合、事故や災害の発生確率が高いことが見込まれているため、それに対する備えがあり、そこからのResilienceが強くなる。逆に日本は発生確率を極力低くしようとするため、何かが起きたときのResilienceが弱い、という言い方ができるだろう。

しかし、Resilienceというのは、単なる物質的な備えというだけではない。災害や事故が起きても、それに耐えられるだけのメンタルというか、精神力も大きなポイントになる。実際、東日本大震災で被害にあった方々が、上記で述べたように、我々が想像できないほどの辛さと精神的な負担を背負いながらも、助け合い、整然と、そして厳粛に避難所での生活に耐え、復興に向かっていくというエネルギーに変えていくだけの精神力を発揮したことは、まさに日本のResilienceと言えるだろう。

さらに、Resilienceは個々人のレベルの問題ではなく、社会全体、政治の問題ともいえるだろう。アメリカのハリケーンの被害は大きかったが、かなり被害が大きかった電力網も順次復旧していったし、高潮と高波のせいで線路にヨットや多くのがれきが覆いかぶさっていた鉄道の路線も一週間もたたずに復旧し、水没したニューヨークの地下鉄も部分的ながら復旧している。こうした復旧に向けての資源の動員や人材の投入といったことができるかどうか、というのは社会全体のResilienceと言えるだろう。

それを考えると、東日本大震災の後のがれき撤去までは良くても、その後の復興庁の設置からがれき処分の問題、そして最近問題になっている復興予算の使い道まで含め、日本のResilienceには疑問の残るところが多い。確かに、個々人のレベルでは素晴らしいResilienceを見せた日本の人々が、いざ復興という段階に入るに当たり、そのResilienceを発揮できないのは、外国から見ると不可思議なものに見えるように思う。それだけ日本の政治行政の問題があるということなのだろう。

【最後に】

今回のハリケーン被害で一番役に立ったのはラジオとソーシャルネットワーク(SNS)であった。渡米する際、すぐに家具や家財道具が揃わないことを前提に、非常用の手回し充電式のラジオと懐中電灯が一体となったものを妻が荷物に入れて持ってきていたのが、こんな時にものすごい役に立った。東日本大震災の時にも確認されたことだが、停電している中でテレビを見ることもできず、唯一の情報源はラジオだった。やはり被災者の立場になるとローカルな情報を提供するラジオは不可欠なアイテムと言えよう。

また、携帯電話(スマホ)でツイッターやフェイスブックを通じて地元の情報を提供するアカウントをフォローしていたことで、ミクロレベルの情報(どこに電気が来ているとか、避難所がどこにある、どのお店が開いているなど)を逐一得ることができた。また、より広い範囲でのハリケーン情報も得られることができ、災害時のSNSの有効性を強く認識した。

日本でも報道されていたが、確かにSNSにはデマやガセ情報も流れていたが、これも東日本大震災の時と同様、すぐに否定されるようなデマやガセであり、緊急時の情報の信頼性を保とうとするSNS自体の自浄作用が働いていたように思う。

また、物資の点でいうと蝋燭の威力を改めて認識することになった。既に述べたように明かりとしても、火力としても、暖房としても機能した蝋燭だが、さすがに自宅周辺ではすぐに売り切れてしまっていたため、私が出張先で買い込んできた蝋燭が役に立った(その意味では出張していたことがまんざら悪いわけでもなかった)。しかし、大量に蝋燭をカバンに入れたまま飛行機に乗ろうとしたため、保安検査場では不信に思われ、念入りに荷物が検査されたことは言うまでもない。

また、手に入る蝋燭がいわゆる蝋の白いものばかりではなく、どうしても香りのついた、いわゆるアロマキャンドルが半分近くになったため、停電中は猛烈なアロマの中で生活する羽目となった。今後もシナモンアップルの香りをかぐたびに、あの停電を思い出すことになるだろう。

2012年10月23日火曜日

第三回大統領候補討論会

先ほど、第三回の大統領候補討論会が終わった。今回は外交・安全保障がテーマであったにもかかわらず、かなりの時間が国内政策、経済政策に割かれ、本来議論すべきテーマからどんどん外れていく討論会だった。

全体の印象としては、勝ち負けがつけられるような討論会ではなく、グダグダな討論会という印象。ただ、ロムニーは過去に発言した内容とずいぶん立場を変え、なんだかいい加減な印象を受けた。外交・安全保障は一般的に現職大統領が事実関係を押さえていて、有利に進められる討論会だが、今回もそうだったといえよう。オバマは「信憑性(Credibility)」という話を持ち出したが、ロムニーの発言がコロコロ変わるという点を踏まえていえば、オバマはきちんと自分の立場がはっきりしており、実績もあるので、この攻め方は適切だったように思える。

とはいえ、中身がグダグダで、何とも評価しにくい討論会だった。以下は討論会を見ながらメモ代わりに発信したツイートです。

第三回大統領討論会が始まった。オバマはいきなりロムニーの過去の発言に攻撃をかけた。確かに過去のロムニーの発言はいい加減なものが多かったが、ロムニーが「私を攻撃することで事態は良くならない」として反撃。最初の質問はロムニーが取った感じだが、あまり中身のない議論になってしまった。

二問目はシリア問題。ロムニーはアメリカがもっとリーダーシップを発揮すべきだといったところで、オバマは「まさしく我々がやっていることだ。この問題に両者の違いはない」と切り返し、引き分け。

三問目はエジプトの問題。ムバラク大統領に執着すべきだったか、アラブの春にどう対処すべきか、という質問だったが、ロムニーは過去にオバマの立場を支持していたので、議論にならず、いきなり「世界は平和なところになるべきだ」とアメリカ外交の一般論を展開。ロムニーは攻め手がない感じ。

次の質問は世界におけるアメリカの役割。オバマはロムニーがブッシュ政権の人たちからアドバイスを受けていることを指摘。ロムニーは強力なアメリカには強い経済が必要、と経済政策を滔々と語りだす。

この第三回討論会は外交・安保がテーマなのに、ロムニーが経済の話をはじめ、オバマがそれに応じ、今度はロムニーが教育政策について語りだした。司会の人は「外交政策に戻りたいんですけど…」といっても両者は止まらない。なんだかグダグダ。

司会は「ロムニー候補は海軍の拡張を主張していますが」という質問に対し、「軍の予算は削らない。私が削る予算は…」といってオバマの医療保険制度の批判。オバマはロムニーの減税プランを批判。誰も外交・安保の話をしていない…。

ようやっとロムニーが海軍拡張の話をし始めた。ロムニーは今は海軍の船が少ないから増やすと言い、オバマは今の時代、船の数で戦争するわけではない。馬の数で戦争するわけでもない。能力が問題と切り返す。これはオバマの勝ち。

今度は同盟に関する質問で、日本との同盟も質問には入っていたが、オバマはイスラエルとの同盟とイラン情勢についてのみ語る。ロムニーはイランへの制裁強化を主張するが、オバマの議論とそれほど変わらず、インパクトに欠ける。

オバマはNYTの米イラン核協議のニュースを否定。制裁を継続し、それが効果を上げていると主張。ロムニーはオバマ政権が国際協調路線やカイロ演説などを批判し、アメリカの弱さを見せたと主張。ロムニーの話はなんとなくネオコン的なナイーブさを感じる。

オバマは中東地域における外交で誰がCredibilityを持っているか、という問題設定。イラン制裁、対テロ対策、中東の人権などの実績を強調し、オバマがCredibilityがあると強調。面白い議論になってきた。

アフガン、パキスタン問題について、オバマ政権がやっていることを基本的に承認するロムニー。しかし、テロをなくすための包括的な政策を行っていないと主張。強いアメリカのリーダーシップでテロをなくす政策を展開すると言っている。強いアメリカに皆ついてくるという世界観がにじみ出ている。

司会が「アメリカにとっての脅威は?」という質問に対し、オバマはテロリストの次に中国を挙げた。中国に甘いという姿を見せたくないのだろうか?その後の話は経済の話になり、国内の経済(雇用)政策になっている。ロムニーはそれに応じ、中国を為替操作国にすると主張。

オバマは「ロムニーは中国をパートナーだというが、その通りだ。中国への投資で儲けていたからだ」と批判。この批判は今日二度目。

中国の話をしていたのに、自動車会社の救済の話にすり替わって行ってしまった…。中国=雇用=産業政策というのはわかるが、外交の話じゃないよぉ…。しかも、雇用、産業政策についての議論に一番力が入っている…。

もう討論会終了。司会のシーファーは何をやってるんだ。外交安保の話は全体の半分もなかった。日本、欧州、南米、エネルギー、温暖化もほとんどなかった。オバマ、ロムニーの締めの言葉も経済の話。それだけアメリカが内向きになっているということなのだろう。

以上です。

October Surpriseの失敗?

アメリカ大統領選も佳境に入ってきたが、オバマ、ロムニーとも支持率が拮抗しており、かなりの接戦が繰り広げられている。

現在(10月22日時点)で、オバマがほぼ押さえている選挙人の数は230人余り、ロムニーは208人という状況で、オバマが有利である(270人の選挙人を獲得すれば当選)。まだどちらに転ぶかわからないフロリダ、オハイオ州などでの選挙戦は壮絶な状況になっている。

今年の大統領選は、連邦最高裁の判決により、これまで制限が多かった政治活動団体(PAC)が中心ではなく、Super PACと呼ばれる、それぞれの陣営を応援する団体がフル稼働している。このSuper PACは気の遠くなるような巨額の資金を集め、それを選挙活動、特にテレビCMの資金に大量投入されている。たぶんフロリダ州の人たちはニュースでオバマ、ロムニーの顔を見るだけでなく、コマーシャルの時間まで彼らの顔を見なければいけないので、相当うんざりしているように思う。

さて、こうした激しい選挙戦を繰り広げている両陣営だが、大統領選の行方を占う大統領討論会も今日(22日)で三回目を迎え、これを最後に候補者は11月6日の投票日に向かって最後の追い込みに入る。

しばしばアメリカ大統領選の最終版には"October Surprise"と呼ばれる、大統領選に影響のある出来事が起きると言われている。1972年の選挙では、先日亡くなったジョージ・マクガバン候補と争っていたニクソン大統領は、10月にキッシンジャー安全保障担当補佐官が「平和はわが手にある」といってベトナム戦争の終結を訴え、選挙戦に影響を与えた。また、1980年のレーガン・カーターの選挙では、当時イラン・イスラム革命の影響でアメリカ大使館が占拠され、大使館員が人質になっていたが、カーターはイランに戦争を仕掛けるとワシントンポストが報じたことが"October Surprise"となった(結果としては戦争をせず、レーガンの大統領就任式の直後に人質解放)。

このような歴史があるなかで、今年の選挙の"October Surprise"になるかもしれない記事が10月21日付のNew York Timesに掲載された。それはU.S. Officials Say Iran Has Agreed to Nuclear Talksという記事で、アメリカがイランと核開発に関する協議を1対1で行うという話を匿名の政府高官がリークしたという話であった。これは外交・安保をテーマとする第三回大統領討論会の直前に流すニュースとしては非常に大きな意味があり、イランの核開発問題に対してオバマ政権が成果を上げたことになるため、ロムニー陣営は大きく動揺した。

しかし、本日(22日)の紙面では、U.S. and Iran Deny Plan for Nuclear Talksという記事を出し、アメリカ、イラン両政府とも、この協議に対する合意はないと否定している。

ウェブで読むと違いがわかりにくいが、紙面で読むと興味深い。21日の記事が一面右肩(重要記事が掲載される場所)にあり、誰もが目をやる場所に書かれているが、22日の記事は国際面の中に埋もれていて、気がつかなければ見過ごす記事になっている。

果たして、この21日の記事は"October Surprise"になりえただろうか?私はやや疑問を持っている。21日は日曜日であり、日本同様、アメリカでも日曜日に政治討論番組などがあるが、そこではほとんどこの記事が取り上げられなかった。それは、外交安全保障問題が、今の選挙戦にさして大きな影響を与える議題ではないこと、そして外交安全保障問題の中でも、アメリカが派兵しているアフガニスタンや、先月大使以下4人のアメリカの外交官が殺されたリビアの問題などは関心があるが、イランの核開発については、国民的な関心が十分にない、ということもあるだろう。

なので、もしNew York TimesがOctober Surpriseを狙って21日の記事を出したとしたら、ちょっと失敗したと言わざるを得ないだろう。選挙戦が拮抗している中で、民主党支持の立場を取ることが多いNew York Timesとしてはオバマ政権に得点を与えようとしたのかもしれないが、それは私が見る限り、失敗に終わったと言わざるを得ない。

とはいえ、オバマ政権はOctober Surpriseに頼らなくても、外交・安保問題ではそれなりの成果を挙げており、特にオサマ・ビン・ラディン殺害はアメリカ国民に「強く、能力のある大統領」というイメージを作ったと考えている。その後、ビン・ラディン殺害にかかわった海軍の特殊部隊(SEALS)の隊員がオバマ大統領を批判する発言などを発表し、普段、秘密のベールに覆われた部隊の隊員が最高司令官を批判したということで話題にはなったが、選挙戦に大きなインパクトを与えたわけではなく、この話はいつの間にか消えてしまった。

本日の夜には第三回目の大統領討論会が行われるが、オバマがここで自らの実績を前面に出して勝負をつけるか、それともロムニーがリビアの大使館員殺害事件などを材料にオバマを攻撃し、その信憑性を落とすことができるか、という勝負になるだろう。その勝負の行方が大統領選を決定づけるとは思わないが、第一回討論会でロムニーが作った流れを副大統領討論会、第二回討論会でオバマが食い止めた、という流れの中で、再びロムニーが勢いを取り戻せるか、それともオバマが押し返せるか、という流れを作る分岐点になるとは言えるだろう。

2012年10月17日水曜日

第二回大統領候補討論会

先ほど、第二回大統領候補討論会が終わった。第二回大統領討論会はタウンホール形式。市民が直接候補者に質問する形式で参加者はギャロップが投票先を決めていない(undecided)有権者から抽出されている。モデレーターは存在するが、質問は用意しておらず、調整する役割。今回のモデレーターはCNNのキャンディ・クローリーさん。

以下は、討論会を見ながら書き綴ったツイートに若干加筆した文章です。まとまりがない文章ですが、ご海容ください。

今回の大統領討論会ではロムニーがやたら介入してくる感じで、やや感じが悪かった。ロムニーは外形的な数字で議論をするが、単純化しているのでパンチが効いていた。討論会後もCNNでは経済問題についてはロムニー優位という評価だった。

逆にオバマは政策論で対応するが、難しい話をできるだけ簡単にしゃべろうとしているが、それでも複雑な話なのでキレの点でちょっと弱い。今回はかなり攻勢に出ていたが、やはり4年間の実績を擁護するという立場である以上、これまでにとった難しい選択を何とか説明しようとするあまり、一般の有権者にはわかりにくい話になっているという印象だった。

実際問題として、政策決定者と一般の国民とでは困難な問題に対するパースペクティブが異なる。政策決定者の立場に立てば、様々な要素を勘案して政策決定をしなければならず、しばしば不人気な選択もしなければならない。しかし、一般国民は「わかりやすい、筋の通った」政策を求めようとする。

これはアメリカだけに限らず、日本でも他の多くの国でも見られる現象である。そのため、野党の挑戦者は、国民受けする「わかりやすい、筋の通った」政策を提示し、それが実現可能だと思えるようなプレゼンテーションをする。2009年の民主党が政権を取った時も、現実にその政策が実現可能かどうか、というよりも、国民受けする話をして権力を取り、政権交代してから政策のことは考える、という姿勢がありありと見えた。今年、フランスの大統領選で勝利したオランドは、既に選挙公約の実現をあきらめ、雇用や財政政策の対応が後手に回っている。

このような現代民主主義の状況をポピュリズムと評価することもできるかもしれないが、少し違うような気もしている。オバマもオランドも政権につくと、その現実に直面しポピュリスト的な政策を実施することができない。むしろ、問題になるのは野党の時の姿勢である。ある意味「野党のいい加減公約」現象とも呼べるような状況が生まれている。これは民主主義にとって大きな問題なのではないか、という気がしてならない。

さて、話は脱線してしまったが、討論会に戻ろう。

ロムニーは税の問題で攻められていたが、何とか乗り切った感じだ。ロムニーの減税プランは弱点だったが、控除とのバランスで大丈夫と印象付けた。ただ、単なる机上の空論にしか聞こえず、やはり信憑性は低いというのが私の感想。

大統領討論会ではPivotという「話題を変えて相手の攻撃をかわす」戦術が重要とされているが、ロムニーは減税プランの話で「計算が合わない」という指摘に対し、「オバマの4年間の計算が合わないから借金が増えた」といったのはまさに戦術的なPivot。こうした対応で問題をはぐらかしたとしても、ロムニーの減税プランはやはり無理があるような気がする。

このロムニーの減税プランはずっと批判されているが、私にとって一つだけ良いことがあった。それはarithmeticという単語を知ったことである。民主党のキャンペーンでキーワードになる言葉だが、これは日本語にすると「算術」という単語。不勉強ながら、これまで知らず、ロムニーの減税プランを批判する際によく用いられる単語なのですっかり覚えてしまった。

さて、また話が脱線してしまったが討論会に戻ろう。

今回のちょっとした驚きは、ロムニーが「アメリカに職を取り戻すためには中国にルールを守らせ、公正な競争をすればよい。中国はバッタもんをつくっているずるい国だからアメリカの仕事が失われる」(大意)と発言したこと。ロムニーがいかにビジネスで成功しようが、オリンピックの運営に成功しようが、アメリカの製造業が衰退している原因が中国の不正にあるというのは、グローバル経済の原理が理解できていないということを白日の下にさらしたといえよう。にもかかわらず、この点について、討論会後のニュース解説などでもあまり扱っていないのはちょっと驚きだ。

総じていうと、今回の討論会は第一回とは異なり、今回の大統領討論会はオバマが積極的な攻勢に出て、ロムニーの政策の矛盾や「47%発言」などを攻撃していた。ロムニーがリビア問題でオバマが大使殺害を「テロ行為」と言わなかった(実際は翌日の9月12日、11回目の9/11に際してのスピーチで発言)という勘違いをしており分が悪い。ロムニーは「テロ行為という前提で行動しなかった」と言うべきところを「テロ行為と言わなかった」という点に限定してしまったことが失敗だった。

ただ、ロムニーのオバマの4年間への批判はそれなりに効いており、オバマは苦しい選択をしていたと言い訳をせざるを得ない状況に追い込まれていた。減税プランでも何とか乗り越えた。なので、トータルとしてはオバマが優勢であるが、引き分けという印象の討論会だった。

第二回討論会ではオバマはロムニーに対して攻めるというのをテーマにしていたようだが、その結果、ロムニーの批判とこれまでの政策の擁護に終始してしまい、これからどうするのか、二期目のビジョンを語るということができなかった。その辺にオバマらしさを感じず、オバマが魅力的には見えなかった。

CNNではオバマ46%、ロムニー39%でオバマ勝利の世論調査。実際は引き分けに近いと思うが、オバマ優位ではあった。これが選挙戦の流れを変えるまでは行かない気がするが、副大統領討論会以降、ロムニーのモメンタムは失われつつあり、この流れで選挙に行くとロムニーは厳しい。

2012年10月12日金曜日

副大統領候補討論会

しばらくブログの更新を怠っていて申し訳ありません。この間、仕事が立て込んでいたこともありますが、一番大きいのは今年の9月からサバティカル(長期研究期間)をいただいて、アメリカのプリンストン大学に一年間留学することになったので、その準備とアメリカでの生活を立ち上げることにあたふたし、書き込む時間がありませんでした。ようやっと落ち着いて仕事ができる環境が整ったので、久しぶりにブログに投稿したいと思います。

アメリカは現在、大統領選の最終盤に差し掛かっており、ニュース専門チャンネルや朝夕のニュースも大統領選で一色になっています。ちょうど先ほど副大統領候補の討論会が終わったので、その感想を思いつくままに書いておきます。

副大統領討論会は一度しか開かれず、必ずしも大統領選の趨勢に影響があるというわけではありませんが、その前の第一回大統領候補の討論会でロムニーが優位に立ち、それが選挙戦の流れを変えていたので、この副大統領討論会で流れを断ち切れるか、というところが見どころでした。

CNNなどでは今回の副大統領討論会は引き分け、という評価でしたが、私個人としては、民主党のバイデンの優勢勝ちという印象です。

第一回の大統領候補討論会ではオバマがほとんど攻勢に出れず、受け身になってしまったことで、ロムニーが上手に立ったことを受けて、バイデンは積極的に攻めに出て、共和党のライアンをやり込めるというシーンが多くみられました。

ライアンは頭の回転の速い人ではありますが、やや知識と経験に欠けているという印象で、虚勢を張って自分たちは民主党と違う、自分たちはより良いことができる、と主張していますが、税制の議論でもかなり計算が怪しいという感じで、バイデンがツッコミを入れても具体的な回答が出せなかったので、「宿題をちゃんとやっていない」という印象が強く残りました。

また、ライアンは討論中、やたら水を飲んでいたのですが、バイデンは余裕を見せ、ライアンがしゃべっている時も、やや見下したような笑い方や、ライアンの話をさえぎるような発言が多く、ちょっと横柄(Rude)な感じがあり、どちらもビジュアル的な点ではポイントを稼げなかったように思います。

ただ、ライアンの締めのメッセージの時、カメラに向かって国民に話しかけたのですが、それがなんだか首相時代の安倍晋三を思い出させるような気味の悪さがあり、ちょっとネガティブに働いたかな、という印象です。逆にバイデンは年金を受け取る年齢の人たちに向かって話をするとき、カメラに向かって話をしたのですが、バイデン自身もその年齢なので、妙に馴染んでいたような感じがしました。

また、ライアンもバイデンもやたらに数字を出していたのですが、たぶん多くの人は数字を全部頭の中にいれてイメージを作ることは難しかったのではないか、という印象があります。もう少しわかりやすい描き方をした方が良かったのではないかと思います。

今回の討論会の司会者はABCのMartha Raddatzという人で、国際報道が中心の人だったので、リビアの米国外交官殺害やシリア、アフガンの問題を多く取扱い、経済や財政の問題については比較的時間が短かったのもバイデンに有利に働いたと思います。

というのも、現職の副大統領として、オバマと共に外交・安全保障の問題について一緒に働いているということをアピールする機会をバイデンに与え、下院議員であるライアンが知りえないインテリジェンスにアクセスできるので、情報量でバイデンが有利となり、ライアンは原則的なことを繰り返すしかなかったように思います。

大統領選の大きな争点である医療保険の問題については、両者の見解以上に事実関係の理解が全く異なっており、議論がかみ合っていないというか、「何が真実か」ということがわからないような状況でした。討論会ではお互い自分の有利になるような情報しか出さないので、話がかみ合わないのは仕方がないことでもあるのですが、それにしても、ライアンの方が柔軟性がなく、自分の言いたいことだけを言って、きちんと批判にこたえていないという印象がありました。

なので、どちらも完全に勝利したという印象ではありませんが、バイデンが有利に立ったと思います。しかし、すでに述べたようにこれは副大統領討論会なので、大統領選に決定的な影響を与えるということはありません。それでも、今回の副大統領討論会で、第一回大統領討論会の時にロムニーが提示した政策の欠陥を指摘し、本当に共和党に任せられるのか、という印象を与えたことで、バイデンに求められた仕事はこなしたのではないか、と思いました。

2012年7月15日日曜日

ユーゴミサイル輸出と「平和利用」

本日(2012年7月15日)の朝日新聞で「日本のロケット技術、旧ユーゴで軍事転用 元軍幹部証言」との記事が出された(記事を読むには登録が必要)。これは拙著『宇宙開発と国際政治』でも取り扱った事柄なので、興味をもって読んだ。

この記事では1960年代(正確には1950年代)から糸川英夫博士率いる宇宙科学研究所が開発した固体燃料を推進剤とするロケットが当時のユーゴスラビアに輸出され、それがミサイルとして転用されたことを、当時のユーゴ軍関係者が証言したという。

こうした証言が具体的に出てくるのは、私が知る限り初めてであり、その意味ではこの記事の資料的価値は大きい。しかし、記事およびその解説でも、拙著で取り上げた問題点が議論されず、やや歪曲した理解になっているような印象も受けたので、ここでコメントしておく。

まず、当時の宇宙科学研究所による宇宙開発は、明示的ではないが、科学者が行うものであるから、「平和利用」であるという大前提が共有されていた(大前提というよりは思い込みに近い)。また、ユーゴへのロケット技術の輸出は、解説記事でも書いてある通り、「平和技術によって外貨を稼ぐ有力な手段としても、ロケット輸出を肯定的にみる風潮が国内にはあった」。

つまり、当時はロケット(とりわけ固体燃料ロケット)がミサイルに転用されるということについて、ほとんどといってよいほど懸念されることはなく、政治的なイシューとして取り上げられた形跡はない。

しかし、当時アメリカは日本が独自でロケットを開発することで、自力で弾道ミサイルの開発が可能になること、また、その技術が第三国に移転されることを恐れていた。それゆえ、アメリカは日本に対して、ミサイルへの転用がより難しい液体燃料ロケットの技術移転を申し入れたのである。

ところが、その時に突如として反応したのが社会党であった。アメリカのロケット技術は軍事目的で開発されたミサイル技術の応用であり、アメリカの技術が導入されることになれば、日本もロケット技術をミサイル技術に転用する恐れがある、として、1969年に「宇宙の平和利用決議」を提唱し、ロケット開発を進めるために自民党も含め、この提案を受け入れ、全会一致で決議が採択された。それ以来、宇宙の「平和利用原則」は日本に定着したのである。

なお、「宇宙の平和利用原則」は日本だけでなく、例えば欧州各国が協力して設立した欧州宇宙機関(ESA)の憲章にも「もっぱら平和的目的のみ(exclusively peaceful purpose)」との文言が入れられている。

しかし、ESAの平和利用は、日本の平和利用と解釈が異なる。1969年の決議では、日本の平和利用は、防衛省や自衛隊の予算を使うことも、宇宙技術を開発することも、宇宙機器を保有することも、宇宙政策に口を出すことも認められなかった。すなわち「非軍事」という解釈であった。他方、ESAでは、加盟各国の安全保障政策が異なっていることもあり、軍事目的の技術開発は行わなかったが、加盟国の軍がESAで開発した衛星通信や地球観測の技術を応用することを止めることはなかった。しかも、冷戦後には、安全保障の概念が変化したとして、ESAが積極的に安全保障問題に関与し、GMES(Global Monitoring for Environment and Security)、すなわち環境と安全保障のグローバル監視というプログラムを実施し、各国の軍隊と協力して衛星開発や衛星データを平和維持活動や海賊対処活動などへの利用できるような体制を整えている(この点に関しては2012年7月8日の毎日新聞の『論点』で議論したのでそちらもご参照ください)。

さて、話は脱線したが、朝日新聞の記事を手がかりに、かつて拙著で論じた日本における平和利用の問題を改めて考えてみたい。1969年の「宇宙の平和利用原則」決議がアメリカの技術移転によって引き起こされたことは、二つの点で日本の政治と技術と安全保障の問題でおかしな点を感じる。

一つは、日本はそれまで軍事的に転用可能な技術を保有しており、それが具体的に他国に輸出され、軍事転用されているにも関わらず、「科学者がやっていることだから平和利用だ」という思い込みに基づいて、問題提起がなされなかったことである。

もう一つは、アメリカの技術だから軍事的である、という決めつけが幅を利かせたということである。アメリカの技術は悪であり、日本の独自技術は善であるという、全く根拠のない善悪の判断がベースにあった、ということがいえる。

この二点によって導き出されたのが「宇宙の平和利用」原則であるとすれば、そのおかしな解釈や基礎となっている思い込みを一度払拭し、新たに問題を立てなおして、安全保障と科学技術の関係を考えなければならないだろう。これが毎日新聞に寄稿した文章のメッセージである。

しかし、せっかく、「日本人が独自で開発した技術=善」という思い込みを払拭する記事を朝日新聞が取り上げたのに、その解説記事は、そうした問題点に切り込むことをせず、おかしな方向に議論を展開している。

ここでは、まず「海外からは軍事転用の懸念を抱かれてきた」として、ガイアツによって宇宙科学研究所のロケットが輸出されたことが批判され、その結果、武器輸出三原則につながった、という議論にしている。確かに、武器輸出三原則をもたらしたガイアツは存在したが、それでもなお、国内では「宇宙の平和利用」原則についての議論がなされていなかった、ということが重要な問題なのである。つまり、日本は自発的に宇宙開発研究所のロケット開発の軍事転用可能性について懸念を示したことはなく、「日本人が独自で開発した技術=善」という図式を、ガイアツを受けた後でも持ち続け、外国に輸出さえしなければ、国内で軍事転用可能な技術を開発することは問題ない、という判断をしていたのである。

むしろ、問題にしたのは別のガイアツである、アメリカからの技術移転であった。その結果、生まれた「宇宙の平和利用原則」決議は、故に、日本の国内から生まれた宇宙の平和利用への歯止めではない。アメリカの技術が移転されるから、それは軍事転用される危険がある、という論理で作られたものである。

しかし、朝日新聞の解説記事では、突如「だが近年、ロケット以外の軍事転用可能な技術の開発や利用の歯止めを緩和する動きが国内で相次ぐ」と議論を展開し、ユーゴへの技術移転に伴う軍事転用の問題とは関係のない、衛星利用の問題についての議論を始める。

この点については、既に毎日新聞に寄稿した文章でも書いたし、上述したように「宇宙の平和利用」の考え方は様々である、ということは述べているので、繰り返さない。しかし、ここで問題にしたいのは、せっかく歴史的な史料価値のある記事を書いておきながら、つまらない「ロケット以外」の話に展開し、日本の「宇宙の平和利用原則」が抱える闇に切り込んでいない、という点である。

「宇宙の平和利用原則」を大事にしたいという気持ちはわかる。しかし、それは、日本人が独自で軍事転用可能な技術を開発したことに目をつぶり、アメリカから技術移転をされることで突如として生み出されたものであること、また、原則として当時の「平和利用」はロケット技術に関する議論であり、衛星の利用については十分な議論がなされないまま、なし崩し的に衛星の利用も禁じてきたことの問題性などを問わずに、ただ「宇宙の平和利用」というきれいな言葉だけを守る意味はない。宇宙の平和利用とはどういうことなのか、平和のために宇宙を利用するということはどういうことなのか、改めて考える時に来ていると思う。

2012年7月2日月曜日

リスクは客観的に評価しうるか


昨日のブログ(「官邸前原発再稼働反対デモに感じた違和感」)を書いたところ、様々なコメントをツイッターやブログのコメント欄でいただいた。ツイッターでいただいた一つのコメントに対する返答が長くなったので、ブログを使って返答させてもらいたいと思います。

その質問は次のようなものでした。

疑問の一つはリスクの客観性の度合いにある、と思います。むろんリスクは完全な客観や主観はなく、その間だと思うのですが。

リスクは発生確率×社会的インパクトですが、客観的に確率を測ることは難しく「明日にでも津波が来る」と思う人と「1000年に1度なのだから明日は来ない」と思う人の間で間主観的な確率の合意はできません。

なので、可能な限り社会的合意を得ようとするなら、科学的な根拠を基礎に客観的な判断をする必要がありますが、複数の科学的根拠が利用可能な場合、主観によって客観的情報を選択せざるを得なくなります。リスクに関する社会的合意を客観的に作ることは難しく、複数の主観によるリスク評価を付きあわせて「最も合理的と思える」評価をしていくしかないと思います。

その際、一番問題なのは変なデマや不正確な客観的情報を出してリスク評価を混乱させることです。なので、そうした不正確な情報を排除し、客観的合意ができる範囲を拡大しながら、リスク評価の幅を狭めていくことで「社会的に合理的」と思える評価を作っていくことが大事だと思います。

またもう一つ問題なのは「客観的情報は一つ」と考える思考方法です。ある客観的な情報が正しいと認定してしまうと、他の情報は間違っており、科学的に断定できない事象について他のリスク評価を排除する結果となってしまいます。そうなると「社会的に合理的」なリスク評価を定めることができず、混乱が収まりにくくなります。

したがって、リスク評価をする場合、可能な限り客観的に合意できる範囲を拡大するために、デマや不正確な情報を排除すること、そして主観的な合意を形成していくために、他者の主観的なリスク評価を排除せず、互いにコミュニケーションを開放して議論を交わしていくチャンネルをなくさないことが一番重要だと考えています。

「リスクの客観性」という言葉は、個人的にはあまりなじまないと考えています。リスクを評価する際の「発生確率」は一般的な客観性を得られるとしても(たとえば飛行機が事故を起こす確率は10のマイナス6乗)、実際、自分が乗っている飛行機が落ちないという保障はないからです。リスクの引き受け手からすれば、どんなに確率が低くても、その事象が自分の身に起これば、それは100%になってしまいます。なので、リスクの引き受け手から見ると「リスクの客観性」など意味のないことになってしまいます。

しかし、それでも人間は全くリスクフリーの状態の中で生きていくことはできません。街を歩けば交通事故にあうリスクもありますし、リスクを減らすためにずっと家にいたって地震でタンスの下敷きになったり、火事になったりします(私は阪神淡路大震災で何人か知人を失ってます)。

つまり、生きていることそのものがリスクだらけであり、どのようなリスクをどうやって取っていくか、ということはその人の生き方を決めることなのだろうと考えています。すべてのリスクを回避することはできない以上、何をAcceptable Riskとして考えるか、ということが重要になってきます(Acceptable Riskについては過去のブログ記事をご参照ください)。自分にとって、そのリスクを引き受けることで得られること(便益)と、そのリスクを回避するための費用を計算し、リスク<費用<便益という式が成り立つのであれば、リスクを取る意味は十分ありますし、費用<リスク<便益でもリスクを取ろうとする人はいるでしょう。ただ、費用<便益<リスクという式になってしまうと、そのリスクを取る意味はない、という判断になります。

この三つの式は、それぞれ個人的に判断する費用や便益によっても変化します。また、リスク評価によっても変化します。なので、リスクに対する考え方=その人の生き方ということであれば、それは主観的なものだと考えます。

その際、客観的な情報がどのような意味を持つかというと、それは単なる目安、指標だと思います。個人がリスク評価をすることは非常に難しいです。何がどのくらい危険なのかということを直感的に判断することができることもあります。たとえば車通りの多い道で急いでいる(便益が高い)ので赤信号を無視するというのは、いくら便益が高くても直感的にリスクは大きい(つまり発生確率は高く、それによるインパクトも大きい)と考えることができます。その時、別に客観的情報(赤信号を無視した場合の交通事故発生件数などのデータ)は必要ありません。

しかし、原発事故のリスクや飛行機事故のリスクなどは直感的にはわからないものです。確かにあれだけ巨大なシステムがなんの事故もなく動くこと自体、直感的には不思議な感じがします。私も飛行機にはよく乗りますが、あんな鉄の塊(最近は複合材の塊というべきか)が空を飛ぶこと自体、直感的には違和感があります。しかし、それでも飛行機に乗らなければ、得られる便益が得られないので、仕方なく乗ります。その際、参考にするのが、先ほど紹介した10のマイナス6乗、つまり100万分の1という数字です。ざっくり言ってしまえば、世界中で飛んでいる飛行機の100万回のフライトのうち1度の確率で機体を失うような事故が起こる、という情報です。これは航空安全の規制によってこの確率が担保されているだけでなく、実績として、これだけの確率で事故が起こるということを実感することができるので、信頼できる「社会的に合理的」な情報だと考えています。

しかし、それでも人によっては、客観的なリスク評価が確立していても、やはり飛行機に乗るのは怖い、という人はいると思います。それは直感的に怖いと思う気持ちが、便益よりも大きく感じる(便益<リスク)のであり、そのリスクを回避する費用が小さい(費用<便益<リスク)と考えているからだろうと思います。

飛行機の場合、個人的な判断で乗る、乗らないを選択できるという点で、原発事故のリスクとは異なります。原発事故は個人で回避することができず、社会的にリスクを引き受けなければいけないからです。そうなると、複数の主観によって構成される社会において、そのリスクを「社会的に合理的」に評価することは極めて難しいと思います。また、すでに述べたように、客観的情報ですら確定しておらず、地震や津波の発生確率、ヒューマンエラーの発生確率などを正確に出すことは現代の科学では難しいことと思います。さらに、そのリスクを社会的にAcceptable Riskとすることは難しいと考えています。

故に、上述したように可能な限り客観的なデータを提供し(デマや不正確な情報を排除し)、社会的にオープンなリスク評価のコミュニケーションをしていくしかないと考えています。その際、「社会的に合理的」なリスク評価を出していくに当たって、「安全神話」の罠に陥らないようにすることは大事かと思います。この点については、先日東大のシンポジウムで話をさせてもらったので、ここでは割愛します(その時の内容がウェブ上に記事となって出ていますので、ご参照ください)。

なので、「リスクの客観性」という表現はなじめないのです。リスクの評価は主観的なものであり、客観的な情報はその判断をする際のリファレンスであること、そしてそのリファレンスを「社会的に合理的」なものにしていく努力(デマなどを排除する)を続けること、そして、そのうえで「社会的に合理的」なリスク評価(何をAcceptable Riskとするか)をするためのコミュニケーションをしていくことが大事なのだろうと考えています。拙い返答ですが、私の思うところを書かせていただきました。

官邸前原発再稼働反対デモに感じた違和感

6月29日に行われた官邸前の原発再稼働反対デモは主催者発表で15万人とも20万人とも言われ、警察発表では1万7千人と言われる大規模なものであった。これだけ多くの人が集まり、自らの立場を主張するということは、注目に値するし、その政治的な影響力についての関心が向く。

しかし、私はこの原発再稼働反対デモに対して、何とも言えない違和感を持った。それは、このデモが「関西電力大飯原子力発電所」の再稼働を具体的な対象としているデモだったからだ。この違和感を説明するのに、少しこれまでの経緯を整理しておこう。

大飯原発の再稼働についてのこれまでの経緯を振り返ると、定期点検で1年3ヶ月前に停止していた大飯原発3、4号機の再稼働に関して、関西電力がストレステストの一次評価を提出し、それを原子力安全保安院が承認し、原子力安全委員会は「ストレステストの一次評価だけでは不十分」という立場を取りながらも、この再稼働について抵抗も阻止もせず、関係閣僚の決定によって政府は再稼働の立場をとった。その上で「地元の理解」を得るため、大飯町と福井県に諮り、大飯町議会は再稼働を認めたが、福井県知事は「消費地の理解を得ること」を条件にした。

この時、福井県知事が求めた「消費地の理解」というのは、大飯原発再稼働に反対の立場をとっていた大阪府市エネルギー戦略会議、そして「被害地元」という概念を生み出して、再稼働に必要な「地元の理解」に関与することを求めた京都府と滋賀県の理解を得ることを意味していた。これらの自治体は関西電力管内の自治体であり、大飯原発の電気を消費する自治体であることから、原発が再稼働しない場合、その影響を被る自治体でもある。

その「消費地」たる大阪府市や京都府・滋賀県が反対するのに、わざわざ原発のリスクに直面する福井県が積極的に消費地の反対を押し切って再稼働する意味はない、という理屈はわからないでもない。原発を再稼働することは福井県にとっては雇用や財政という観点からすればメリットがあるが、原発事故のリスクが福井県よりも小さい遠隔地のために、自らが大きなリスクを取る必要はない、と判断するのはやぶさかではないだろう。

しかし、結果として、大飯原発の再稼働をしなければ、消費地における電力不足は深刻なものになりかねないという計算結果が出て、それを踏まえて大阪府市や京都府・滋賀県を含む、関西広域連合は、最終的に再稼働を容認する立場をとった。その結果、福井県も再稼働に応じる方向で、最終的な再稼働の条件として、野田総理に対し、総理の口から国民を説得してほしいとの要請があり、それにこたえる形で野田総理は6月8日に記者会見を行った。これにより、すべての条件が満たされたとして、大飯原発の再稼働に至ったのである。

この経緯を振り返って、何に違和感を感じたかというと、大飯原発の再稼働は、関西の問題(より正確には関西電力管内の問題)であり、首相官邸前に集まった多くの非関西居住者(もちろんその中には関西出身の人もいるだろうし、関西から来た人もいるだろう)が口を出してよいものなのかどうか、という点であった。

仮に野田総理が原発再稼働反対デモを見て、自らの決断を覆し、再稼働を中止するという判断をした場合、関西電力はもちろんのこと、福井県の原発関連の従業員や、関西電力管内の消費者にとって大きな影響をもたらす結果となる(電力不足が起こらない可能性もあるが、それでもより厳しい節電は必然の状態となる)。しかし、大飯原発が再稼働しても、しなくても、電力供給に影響のない多くの非関西居住者が、関西の人たちの運命を決めることは正しいのだろうか、という違和感である。

誤解のないように書いておけば、私は原発再稼働に反対する人たちが、その意思を表現することは正しいことだと思っているし、それは積極的になされるべきだと考えている。デモが否定される社会、自らの意見を表明することができない社会には断固として戦う意思もある。しかし、今回の官邸前で行われたデモについては、どうしても納得できない部分があった。

というのも、関西の人たちは、関西広域連合という民主的に選ばれた代表によって構成される会議において、起こるかもしれない電力不足のリスクを回避するために、大飯原発の再稼働を容認するという決定をしているからである。もちろん、最終的な決定は政府でなされているが、その決定に至るまでの重要な要素して、地元、つまり原発立地自治体である福井県と、消費地である関西広域連合が「民主的に」決定したことを、なぜ大飯原発のリスクの引き受け手でもなく、電力不足のリスクの引き受け手でもない非関西居住者の人たちが覆せるのか、ということが理解できなかった。

確かに、最終的な決定をしたのは政府であり、野田総理は「私の責任において」再稼働すると言っているのだから、当然、再稼働を止めることができるのは野田総理ということになる。なので、大飯原発の再稼働に反対する人は総理に働きかけるというロジックは成立する。

しかし、それならば、なぜ関西広域連合で再稼働を容認した時に、同じように大阪市庁舎の前でデモをやらなかったのか。私が知らないだけかもしれないが、少なくとも、もしデモが行われたとしても今回の官邸前デモ程の規模ではなかったことは確かだろう。また、関西広域連合で大飯原発の再稼働を容認した後の大阪府の世論調査では、再稼働の決定に賛成する人が49%にのぼり、反対の18%を大きく上回っている ( 毎日新聞2012年6月5日 ) 。この世論調査はあくまでも大阪府の住民が対象であるが、それにしても、関西に住んでいる人たちが再稼働に賛成したという傾向を示すものであることは間違いない。

なぜ関西に住む人が賛成していることを、そして民主的な手続きを経て選ばれた人たちが決めたこと(関西広域連合での決定が制度的な正当性を持つかどうかは別として)を、リスクの引き受け手でない人たちが決めることができるのだろうか、という疑問はいまだに解消されていない。

この違和感を考えていた時、何かに似ていると思ったのが、北九州における震災瓦礫の受け入れに反対する運動であった。こちらの方は規模は小さかったが、様々なトラブルを起こしたこともあり、かなり知られることとなった。この時の論点は、①放射性物質を含んでいるとは思えない、震災瓦礫をあたかも放射性物質の塊のように扱ったことに対する問題、②北九州市議会も民主的な手続きを経て承認した瓦礫の受け入れを否定することの是非、③瓦礫を運搬する業者を止めようとする手段の是非、④逮捕者を含め、運動に加わった人が北九州の人たちではなかったこと、といったことであった。このうち、①と③については、官邸前デモとは一致しないが、②と④については、官邸前デモと共通する問題なのではないか、と考えている。

あの時に感じた違和感(それは①に対しても③に対しても感じていたが)は、やはり民主的な手続きを経て、当事者が合意したことを、当事者でない人たちが反対することに対するものであった。その違和感を今回の官邸前デモでも感じている。

民主主義とは、本来、当事者が自らのことを自らで決めることができる仕組みであるべきである。イギリスの名誉革命も、アメリカの独立戦争も、フランス革命も、当事者である人々が、自己決定権を得るために戦い、勝ち取ったものだと認識している。その自己決定権を奪うことは、どのような方法であれ、非民主的な行為のように思えるのだ。独裁政権が非民主的なのは、当事者である市民が決定に参加することができず、特定の権力者だけが決定に参加できるという仕組みだから問題なのだ。形式的な民主主義(北朝鮮にだって選挙はある)が民主主義的と思えないのは、それが自己決定につながらないからである。自らの運命を自らが決定することが民主主義の本義だとするならば、関西広域連合で決定したこと、福井県が決定したこと、大飯町が決定したことを尊重すべきなのではないだろうか。もちろん、彼らは選挙の争点として原発再稼働を掲げたわけではない。しかし、現代の間接民主制の仕組みである限り、民主的に選ばれた為政者が判断したことは、民主的な決定と言ってよいだろう。

そう考えれば、やはり、当事者たる関西広域連合、福井県、大飯町の決定を尊重するべきなのだと考える。それを当事者ではない人たちが介入し、その結果生まれるかもしれない電力不足のリスクを引き受けないということは、やはりおかしな感じがするのである。

2012年6月21日木曜日

事故調乱立は民主主義の証

本日のテレビ朝日系列「報道ステーション」で、東京電力の社内事故調査の報告書を受けて、コメンテーターの三浦氏が、政府、国会、東電、民間事故調の四つを挙げ、事故調が乱立気味であり、真実が何かわからない、という趣旨の発言をしていた。また、キャスターの古舘氏もそれに同意するコメントをしていた。

この発言を聞いたとき、さすがに恐ろしい気分になった。元々朝日新聞の論説委員であり、自身がジャーナリストである三浦氏が、「真実は一つであり、事故調査は一元化するべき」と考えているようであれば、それはジャーナリストとしての自殺と言わざるを得ない。

なぜなら、彼自身が所属する朝日新聞も含め、新聞は全国紙として5紙(読売、朝日、毎日、産経、日経)があり、彼自身が出演しているテレビ局も民放5社(日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東)とNHKがある。もし世の中に真実が一つしかなく、それを報道する組織も一つであればよい、というのであれば、日本にこれだけの新聞社もテレビ局も必要ないはずである。

世の中に真実が一つであり、故に報道機関も一つであればよいと考えている国はあるし、かつてもあった。有名なところでは「プラウダ(真実)」という名の新聞を唯一の公的な報道として認めていたソ連や、現在でも「労働新聞」のみを公的な新聞としている北朝鮮などは代表的なケースであろう。

つまり、三浦氏がいう「真実は一つ、事故調は一つ」という考え方は、全体主義のそれと全く変わりがない。そのことに気が付かず、平気で数百万人は視聴すると思われるニュース番組で発言してしまうことの愚を考えてほしい。

ただ、彼の言いたいことをやや好意的に解釈するとすれば、「現在の事故調はたくさんあるが、どれも同じようなことばかりをやっていて新味がない。そんなことであれば事故調など複数いらない」という発言としてとることもできる(かなり無理はあるが)。

私自身が民間事故調に関わったから、というわけではないが、国会事故調が東電の撤退問題や官邸の介入に関して強い関心を持つのも、また、今日発表された東電の報告書でこの問題に対する反論(ないしは言い訳)めいた記述が出てきたのも、ある意味では民間事故調が福島原発事故の背景となった政治的、歴史的、構造的要因に切り込む報告書を出したからであり、そこで掲げられた論点を受けて、複数の事故調がそれぞれに意見を出した結果、こうした「横並び」のような状況を生んでしまったのではないかと考えている。

もちろん、ここで取り上げられている論点はいずれも事故を理解する上で重要なポイントであり、それぞれの事故調が独自の調査と分析をすべきものだろうと思う。しかし、それぞれの事故調は異なった目的やミッションを担っており、何も民間事故調と同じ論点で議論をする必要はない。

国会事故調は、その設置法にも書かれている通り、事故の真相を究明し、今後の原子力行政や原子力法規制に向けての提言をすることが目的である。であるならば、事故の真相究明は最終的に政策や立法の提言に結び付くものでなければならない。東電の撤退問題や官邸の介入は、確かにその後の原子力規制のあり方や原子力災害時の体制を考える上で重要な論点ではあるが、本当にそれだけが問題なのか、と言われるとそうではないように思う。その意味で、国会事故調が何を目指して調査をしているのか、今一つ明確ではない点が気になる。

また東電事故調は、サイトのデータや事故時の福島第一原発と本店の間のやり取りなどを知る唯一の存在であり、そうした立場から徹底した資料の提出と事故の経緯の解明をすることが将来の原子力事故を防ぐための教訓となるため、そうした資料の提出と将来につながる報告書を書くことが目的であるべきである。しかし、今日発表された東電事故調の報告書を見る限り、東電の自己保身、言い訳、自己正当化の部分が目立った。もちろんサイトで起こったことの分析やデータの提供もなされているが、どうしても報告書全体が自己保身を目的としているようなバイアスがかかっており、将来的に教訓を残そうという意図を強く感じない報告書に見える。

こうなってしまったのは、それぞれの事故調が本来の目的を見失い、社会的に注目を浴びる論点に意識を強く持ってしまった結果として考えることが出来、その意味では民間事故調も含めて、事故調が複数存在し、本来拡散されるべき論点が、収斂してしまったことに問題があるとは言える。

しかし、それは複数の事故調が乱立していることが問題なのではなく、それぞれの事故調が自らの目的とミッションを明確に定義せず、調査・検証の軸が固まりきっていなかったこと、そしてメディアを含め、社会的関心が官邸の介入などに集中してしまったことが原因と考えられる。

まだ国会事故調の中間・最終報告、政府事故調の最終報告は出ていないが、民間事故調、東電事故調、政府事故調の中間報告を見る限り、それぞれが広範な論点に言及し、それぞれの立場から有益な分析をしていると思う。これらの報告書の中には将来の原子力のあり方に向けての示唆が多数含まれており、それらをうまく活かしながら新たな規制機関や法制度の整備をしていけば、今回の事故の教訓を踏まえた危機管理の仕組みができていくことは期待できる。

しかし、政府事故調も国会事故調も最終報告を出さないまま、原子力規制委員会、規制庁の設立を決める法案は国会を通ってしまい、そうした知見を活かした法制度整備や安全規制整備になっているとは言い難い状況になってしまった。

様々なことが後手に回り、夏が来る前に電力不足を解消しようと焦る政府は、早急に原発再稼働を進めようとした結果、過去の教訓が活かされた体制作りができなかったことは大変残念である。

すでに述べたように、複数の事故調が「乱立」し、それぞれの立場や目的から様々な提言を行うことは民主主義国家ならではの出来事である。「真実は一つ」ではなく、様々な角度から見える「複数の真実」を突き合わせ、政府や国民は複数ある分析や解釈の中で何を選び取っていくのか、ということこそ、民主主義的な営みなのである。それを強権的に一つの事故調、一つの分析による、「かりそめの一つの真実」にまとめてしまうことは、原子力ムラの介入や政治的な介入によって「真実」が捻じ曲げられてしまう危険すら伴う。

であるがゆえに「事故調乱立」は民主主義の証であり、それを否定するどころか、事故調が乱立していることを歓迎し、その中で、政府や国民が「何が真実か」を自ら掴み取っていくことが民主主義の成熟にとって重要なのである。

2012年5月9日水曜日

脱原発に向けて何をすべきか

ツイッターで以下のような質問をいただいたので、それへの答えとして、脱原発に向けての対策について少し考えていることを書きたいと思います。

いただいた質問は以下の通りです。

なお先生は、ドイツの決断の前提条件として重要だったと思われる、① 発電と送電の分離、②自然エネルギーの送電線への優先接続、③自然エネルギー導入の初期コストへのサポート(固定価格買取制度)、④消費者が電気を自分で選べるようになること・・についてどう思われますか?
 まず、①の発送電分離ですが、ドイツの場合、EUの電力自由化指令があり、発電市場の自由化を進める政策の一環として実現したものと理解しています。欧州大陸で隣国と送電網が接続されている状態なので、国境を越えた電力融通ができる市場があるという点がポイントと思っています。

日本は地域独占に加え、周波数が違うなど、国内ですら電力融通に苦労する状態で、おおよそ電力融通がうまくいく仕組みにはなっていません。私が住んでいる北海道は本州(東北電力管内)と60万キロワットの北本連系線しかなく、これでは電力構成のうち、再生可能エネルギーの割合が増えてきた場合、大変問題になると思います。

再生可能エネルギーは発電量が一定ではないという弱点があります。ですので、できるだけ広い範囲の送電網の中に位置づけ、太陽が照っているところで発電した電気を照っていないところに回したり、風が吹いているところから吹いていないところに回すという作業が必要です。スペインで再生可能エネルギーの導入が進んだのも全国規模の送電網と送電管理をやっていたからです。

その意味では、発送電の分離は極めて重要なだけでなく、全国レベルないしはアジア地域にまで広がる送電網を整備しないと再生可能エネルギーの導入は難しいと考えています。

②の再生可能エネルギーの優先接続ですが、これも上記の送電網の問題とかかわります。現在、再生可能エネルギーの接続が容量で制限されているのは、再生可能エネルギーが不安定な電源であるため、それぞれの地域独占の電力会社が管理できる規模でしか受け入れないという状況にあることが問題だと考えています。発送電が一体化されていることで、再生可能エネルギーの発電量が低い時は、他の発電(主として火発)での発電量を増やして調整するという形にしています。しかし、再生可能エネルギーへの接続を無制限にしてしまうと、発電量が足りない時に、他の電源から供給する限界を超えて電力が足りなくなる可能性が生じます。なので、再生可能エネルギーの接続が制限されるのです。

なので、①の回答と同じになりますが、大事なことはナショナル・グリッド、アジア・グリッドを整備し、できるだけ広い範囲で再生可能エネルギーによる電気を受け入れ、ある地域の不足分を他の地域の再生可能エネルギーの余剰電力でカバーするという仕組みが必要になると思います。

そのためには、まず発送電を分離し、送電網だけでも地域独占から解放してナショナル・グリッドを作り出す必要があると思っています。

③のFITの問題ですが、これは再生可能エネルギーを普及させるためには必要なことと思います。残念ながら、発電効率の悪さと発電コストの高さ、設備コストを考えれば、再生可能エネルギーの経済性は低く、FITのような形で下駄をはかせなければ普及は難しいと思います。現在の買い取り制度では太陽光発電で1kwあたり42円としているのですが、これは火発や水力と比べても高いものです(原子力発電のコストは様々な議論があるので、ここでは触れません)。

こうした高い電源であっても、原発をやめて、火発に依存する量も減らすためには再生可能エネルギーが必要であり、多少高い電気代でも(すでに日本の電気料金は相当に高い)かまわない、という国民的コンセンサスを作る必要はあると思います。私は個人的には再生可能エネルギー普及のためのコストとして受け入れるのは良いことだと思っていますが、景気後退し、経済的に困窮する人が増える中で、本当に再生可能エネルギーを普及させるために、国民が電気料金の値上げにコンセンサスを取れるのか、についてはあまり確信はありません。

④の消費者の電源選択ですが、これはあるべきだと思います。ただ、この時に問題になるのは、原発も選択肢として残すかどうか、という問題があると思います。すでに建設・運転済みの原発であれば、純粋な燃料コスト+運転コスト+バックエンドコストだけ見れば、発電コストは安くなります(事故のコストは含んでいません。これをどう対処するのかについては意見が分かれるところですが、とりあえずここでの議論では事故のコストは含まないとします)。そうなると、産業界から見れば、安定し、質の高い、大量の電気が供給されるのであれば原発を使いたい、という選択もありうるからです。

この問題は、これから将来にわたって原発をどうするのか、つまり(1)全廃、(2)最低限の数基だけを運転する、(3)稼働可能なものは年限(40年)まで使う、という選択肢ともかかわってくる問題なので、連立方程式のように解を見つけていかなければならない問いだと思います。

個人的には、短期的には(2)最低限の数基だけを運転し、その間に再生可能エネルギーの普及とナショナル・グリッドの整備を進めること、その間の電気料金の値上げは甘受することが求められるのかな、と考えています。その中で、ナショナル・グリッドが整備され、再生可能エネルギーが普及し、十分コストが下がってくれば、(1)原発の全廃(もちろん廃炉にした後も放射線の管理は必要ですし、使用済みの核燃料の処理のコストとリスクは付きまといます)へと進んでいくべきだと思います。

ただし、色んなコンティンジェンシーが考えられます。たとえば再生可能エネルギーの技術がうまくいかないとか、コストが下がらないという問題、また化石燃料の価格が高まっていくという問題、老朽化した火発が事故や故障で運転できなくなるような状態など、いろんなリスクがあると思うので、それらについても想定しながら、しっかりとしたバックアッププランを作ってやっていくことが大事だと思います。

当然、需要側の調整も必要だと思います。これまで30%の発電を担い、ベースロード電源であった原発がなくなるわけですから、電力供給にはいろんな無理がかかることになると思います。できるだけ供給側の負担を減らすためにも、需要側の調整、つまり節電が必要だと思います。

ただし、無理な節電は産業界や雇用にも影響してきますし、真夏に冷房をつけないといった身体への影響や、バリアフリーのためのエレベーターを止めるといった弱者へのしわ寄せといったことも起きます。そういう無理な節電はするべきではないと思っていますし、それはもう「節電」とは呼べず、電力不足への対応というべき行為だと思っています。

ですので、需要を下げるにしても、限界はあると思うので、供給側も頑張らないといけないと思います。そのためにも、短期的には最低限の原発の再稼働(たとえば北海道であれば最新の泊原発3号機だけ)を認め、長期的に原発をなくしていくという方向で考えていくべきなのだろうと思っています。

長くなりましたが、これにて。

2012年3月23日金曜日

原子力安全委員会における「公開」について

本日、原子力安全委員会が原子力安全・保安院から提出された大飯原発3,4号機のストレステストの結果を了承した。定例ではなく臨時会合として開かれたが、かかった時間は5分。書かれた文書を読み上げるだけの会議であった。すでに非公式に議論が進められ、委員の間でコンセンサスが取れていたから、臨時会合はあくまでも公式な手続きにのっとって、公開の場で採択しなければならないので、それを行っただけなのだろう。

このストレステストの問題、安全委員会の役割など、いろいろな問題点はあるが、まずはこの「公開」の意味を考えてみたい。

これまで日本の原子力政策は「自主・民主・公開」の原則のもとに行われてきたことになっている。これは、日本が原子力の平和利用を始めるにあたって、原子力の軍事的利用を認めない、その歯止めとして導入された概念であり、同時に外国の技術ではなく、自らの技術で原子力開発をするという推進側の理念でもあった。

この「自主・民主・公開」の理念は素晴らしい。しかし、理念が素晴らしくても、「原子力ムラ」は立派に成長し、様々なトラブル隠しがあり、史上最悪と言われる事故が起こった。この理念があったからこのようなことが起こった、というつもりはないが、このような理念が空虚であったということを証明することは難しくないだろう。

ここで理念が役に立たなかったということを議論しても仕方がない。しかし、「なぜ」理念が役に立たなかったのか、「どうすればよかったのか」ということは考えておく必要があるだろう。

まず「自主」であるが、これは曲がりなりにも成功している。政府は一貫して原子力を推進し、様々な失敗、とりわけ核燃料サイクルに関連する技術の自主開発にはいまだに成功していないが、それでも商業炉の建設ということだけ見れば、自主技術の開発が進められてきた。この点は今回の議論の焦点ではないので、とりあえず置いておく(問題がないわけではないのでいずれ取り上げたい)。

次の問題は「民主」である。科学技術を民主的にコントロールするという理念は非常に重要で、崇高な概念だ。それを実現しようとして科学技術社会論(STS)などの分野も発達している。しかし、私は個人的に科学技術を「民主的」にコントロールできると考えるのは無理があるように思っている。

というのも、圧倒的な技術的専門的知識の格差があるからである。私は文系出身者で技術的なことがわかるわけではない。なのに、宇宙開発や原子力安全の問題を勉強している。しかし、技術的なことはわからないことが多い。多すぎる。本当にそれは適切な技術なのか、それは安全な技術なのかを判断する基準も知識もない。ゆえに、一生懸命勉強している。

しかし、これを市民がすべて行うことはほとんど無理だと思う。基礎的な知識だけでも理解することは大変難しい。そうなると技術的な知見に基づいた「民主的」なコントロールは大変困難である。

ただ、「自主・民主・公開」の原則における「民主」というのは必ずしも、市民が専門的技術的知見に基づく判断をすることを想定しているわけではなく、それは国会が良識を発揮して、原発に賛成、反対を含め、建設的に批判する知見を持つ人たちを含めて決定していく、という意味を持っていた。しかし、そうしたことを国会が行ったということは寡聞にして聞かない。むしろ、「原子力ムラ」を構成し、ともに利益を共有する存在として政治家は存在していた。そんな中で「民主」の理念が実現できるとも思えない。

また「公開」の原則も、理念としては良いかもしれないが、現実的には実現の難しい問題である。原子力技術や原子力発電所は、軍事的に応用可能な技術であり、それを一般に公開することは、他国(たとえばイランや北朝鮮)に軍事技術をただで教えるようなものになってしまうし、また、テロリストに攻撃する余地を与えることになってしまう。そのため「公開」にはおのずから限界がある。

さらに大きな問題は「公開」を前提にすると、様々なものが地下に隠れてしまう、ということである。私は一時、国連の様々な会議を見る機会があったが、国連というのは第二次大戦の反省から「秘密外交」ではなく、「公開外交」を行うため、オープンな場で会議を進めるということを理念としてきた。なので、我々もテレビで国連総会の様子を見ることができるし、会議での発言は議事録で見ることができる。

しかし、実は国連安保理は「公式チェンバー(会議室)」の隣に「非公式チェンバー」というものがあり、ここにはプレスも入れないだけでなく、国連加盟国であっても安保理のメンバー(15ヶ国)でないと入ることができない。我々がテレビで見る馬蹄形に並べられたテーブルで行われている国連安保理の採決は公式チェンバーの映像だが、あれは安保理の議論の最後、採決の時にしか使われない。それ以外の本質的な議論は非公式チェンバーですべて行われる。

本日の原子力安全委員会の5分間の臨時会合を見て思い出したのは、この安保理での決定プロセスである。「公開」を理念として謳っても、結局、本質的な議論を表でやることは難しく、「公開」を義務付けたところで、議論は見えないところで行われる。

そうなると「公開」を前提にして、人々が情報を受け取り、それに基づいて判断するという「民主」という概念は成立することが難しくなる。東京電力が提供した原発事故マニュアルも、結局、保安上の理由に加えて、知的所有権という理由から真っ黒に塗りつぶされて提出された。本来ならば、こうした事故の責任を取って、すべての情報を提供し、何が問題だったのかを検証する手続きに全面的に協力すべき東京電力は、これまでの形式的「公開」と地下に潜った情報公開(つまり原子力ムラの中でしか情報共有しないという姿勢)という態度を変えなかった。そこから東京電力の誠意も責任も感じることはできないが、それはともかく、原子力基本法を作った段階での「自主・民主・公開」の概念がこれほどまでに形骸化していたということを象徴する事例といえよう。

では、どうすればよかったのか。「自主・民主・公開」といった形骸化した理念などなかった方が良かったのか。

いや、そうではない。この理念は間違っていないのだ。何が間違っていたかといえば、こうした原則を作ったことで安心し、その理念が形骸化していくことを食い止める努力をしてこなかったことである。「自主」はともかく、「民主」と「公開」については、一般市民である我々も、政治家も、電力会社も、原子力技術者も、みんなこの理念にコミットし、それを守ろうとする意志を示せば実現できたはずである。しかし、原子力を推進することを国中を上げて支援した1950年代、激しい反原発運動が生まれた1970年代、そして様々なトラブルが発覚し、原子力政策が強く批判された1990年代と、様々な局面で、この理念は忘れられ、形骸化されていった。

特に重要だと思うのは、原子力の導入を決めた1950年代に政府が強引に進めていく原子力政策に対して、それを食い止めることができず、メディアも世論も原子力推進に向かっていく中で、ごくわずかな科学者や技術者しか批判的な勢力として存在せず、原子力推進の流れの中で、建設的批判を行う存在が無視されてしまったことがある。その結果、1970年代に反原発運動が活発化した時も、原子力推進によって強固に構築された制度的枠組みと「原子力ムラ」と国民の無関心に立ち向かうため、過激な言説や「何が何でも反対」という立場を貫かざるを得なくなった。それは、結局、反原発運動が一定の支持を集めることには成功しても、原子力政策の大きな流れに掉させる状況にはならなかった。また、過激な言説を導入することで、「賛成か反対か」という二元論に陥ってしまい、建設的な批判をすることが難しい状況になった。

その結果、反原発派に対抗するために、原子力推進派は「公開」の原則を形骸化させ、どんどん情報は地下に潜るようになり(といっても原子力委員会や原子力安全委員会の文書は公開され続けるが)、結局、あずかり知らないところで物事が決まるという状況が常態化し、「民主」的コントロールをするということがほぼ不可能になったのである。

今日の原子力安全委員会の臨時会合が5分しか開かれず、それに起こった傍聴者が野次を飛ばしたり、机を乗り越えて意見を言おうとしている姿を見て、「結局、何も変わっていないんじゃないか」と思わざるを得なかった。これまでの「賛成か反対か」という議論を乗り越えることができず、反対を騒ぎ立てれば立てるほど、「公開」の場で行われる議論が形骸化され、ほとんどが地下に潜ってしまうという構図が何も変わっていないのである。

今必要なことは、感情的に原発に反対し、何が何でも原発の再稼働を止めるということなのだろうか。確かに、今回の原子力安全委員会の決定には納得できず、何度聞いても班目委員長の説明は理解ができない。再稼働をするという判断を誰がするのかという責任の所在も曖昧なままだし、きちんとした安全規制の再検討がなされたとも言い難い。しかし、だからと言って、感情的な反原発を叫ぶだけでもよいのだろうか。

私は、今必要なことは建設的な批判をする集団を作っていくことなのではないかと思っている。すでに述べたが、「民主」的コントロールをするには、専門的技術的知識に大きな格差がある中で、感情的な反対をしても、「原子力ムラ」に訴える力は弱いのではないかと考えている。きちんと建設的な批判ができる場を作り、原子力政策をどのようにしていくのか、様々なオプションを示しながら、冷静に議論できるようになるのが一番望ましい。

そのためにも、情報の「公開」は絶対に必要である。その「公開」ができないような状況になるのは一番避けたいことである。そのためにも、感情的な反原発をぶつける場として「公開」の場を利用するのではなく、この理念をテコにして「原子力ムラ」の中から情報をどんどん引き出し、それに基づいて議論をするということができれば、今後の原子力政策を考える一助となるだろう。

そのためにも、単なる会議の「公開」にとどまらず、政治的・法的・制度的に情報の「公開」を保証し、建設的な議論ができる場を設けるのが政治の責任といえよう。そうしたことなしに素人である政治家が「政治的判断」を振りかざして原発再稼働に向かっていくことは最も望ましいことではない。

【追記】

敢えて本文では書かなかったが、この記事を書く動機は、民間事故調での検証作業で、保安院も東電も積極的に情報を提供してこなかったことが背景にある。本来ならば「公開」の原則に基づいて情報提供をするのが筋であり、また、事故を起こした当事者として、検証される立場としての責任であり、将来に向けての原子力安全を考えるための貢献という意識が全く見られなかったのはなぜか、という疑問から出発したため、ストレステストや安全規制の問題よりも、「公開」の問題について書いてみた。ご理解いただければ幸いである。

2012年3月7日水曜日

私にとっての民間事故調

さて、先ほどのブログ記事の続きだが、私が民間事故調をお手伝いするところから、説明をしていきたい。なお、ここに書くことはあくまでも私の体験を基にした記述であり、財団法人日本再建イニシアチブ(財団)および福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の記述ではないことをあらかじめ断っておく。

【なぜ私が関わることになったのか】

最初に話をもらったのは、正確に記憶していないが昨年夏の初めのころだった。畏友である一橋大学の秋山さんに「今度、福島原発事故の調査をすることになった。ついては鈴木さんにも手伝ってほしい」という話をいただいた。その時は、具体的にどのような調査となるのか、どのようなメンバーで行うのか、といった具体的なことは決まっていなかった。しかし、先ほどのブログ記事にも書いたように、自分に何ができるのか、科学技術政策を研究対象とする研究者として何をすべきかを考え、お誘いに乗ることにした。

私に声がかかったのは、秋山さんの知り合いだったからということもあると思うが、「原子力業界とはしがらみがない」人間で、経産省や文科省が行う科学技術政策が理解できる、という点にあったと思う。しばしば民間事故調の批判として、「誰が関与しているかわからない」とか「しがらみがない、というがそれは本当か?」といったものがあるが、少なくとも私に関しては、これまで原子力政策に直接かかわったことはなく、メーカーや電気事業者といった原子力業界とも全く縁がなかった。その意味で、全くしがらみがなかったことは胸を張って言える。

逆に、「しがらみがない」人であり、かつ、きちんとした調査ができて報告書が書ける人となると、なかなか適切な人材を見つけることが難しい。それでもワーキンググループに集まった仲間は、各方面で活躍し、本当に優れた能力を持つ人たちだった。実質的に半年しか時間がない中で、厳しい要求に応じながら、重要なインタビュー資料や外国での調査、資料の発掘など、それぞれが得意とするところをいかんなく発揮して調査を進めていた。何よりもすごいのは、多くの仲間が原子力に直接かかわらない分野から集まった人たちであり、みんな猛勉強をしてこの報告書を完成させることに力を注いだことである。実情を多少なりとも知る立場からすると「しがらみがない、なんて嘘だ」とか「この検証委員会は何らかのイデオロギーをもってやっている」といった根拠のない批判を受けると、ちょっと悲しくなる。できることなら、ワーキンググループの仲間たちで朝から晩までかわした議論を見てほしいくらいだ。

【ブレインストーミング】

最初に集まったのは、私の手帳によれば7月15日であった。この時は、まだ財団も発足しておらず、旅費も自腹で集まった。そこにはプログラム・ディレクターとなる船橋さん、秋山さんのほか、数名がいて、実質的に最初の会合であったと思う。とにかく最初から手さぐりで調査の仕方、論点の設定、報告書の性格付けなどを自由に議論した。この時、私が意識したのは、政府事故調での調査との関係であった(当時、国会事故調は存在していなかった)。

私は、政府事故調は政府の内部資料や東電に対しても強制的に証言を取ることはできるが、民間事故調にはそれは難しいと思われた(実際、東電は対応せず、保安院も協力的とは言えなかった)。そのため、政府事故調と同じことをやっても、あまり意味はないと思っていた。しかし、メンバーの中からは政府事故調の報告書を検証することを目的とし、同じような調査をする方が良いのではないかという意見もあった。

最終的に、民間事故調としては、単なるサイトで起こった出来事の検証をするのではなく、官邸での対応、福島県や自衛隊などの対応、諸外国の対応(とりわけ日米協力の問題)、そして歴史的・構造的な要因の分析など、幅広く問題を設定し、調査の幅を広げることで、政府事故調がカバーしないことに踏み込んだ調査をするという方向性が固まっていった。のちに政府事故調の中間報告が出たとき、かなりサイトでの出来事に焦点が当たった中間報告になっていたのを見て、当時想定していたことが大きく間違っていなかったことが確認できた。

ただ、ここでの議論はあくまでもブレインストーミングに過ぎず、正式な調査は財団が発足した後、有識者委員会が組織され、有識者委員会での議論と最終的な方向性の決定まで実質的な調査を進めることはできず、その間はワーキンググループのメンバー集めなどが進められていた。

【二週間に一回の会合】

本格的な調査が始まったのは財団の発足に伴い、具体的な調査の論点が定まった秋口からであった。その間、二週間に一回、東京に集まって会議をするのは北海道に住んでいる身からすればかなり大変であった。実際、多くのインタビューは東京で行われ、インタビューの対象者も東京にいることが多いため、すべてのインタビューやラウンドテーブルに出席することができず、忸怩たる思いをしたこともある。しかし、私は第3部である歴史的・構造的要因のパートリーダーの役目と、のちに第8章となる安全規制ガバナンスのところだったため、インタビューをベースとする必要が必ずしもなかったこと、また、同じ章を担当してくれるジャーナリストの仲間がインタビューを手伝ってくれるということで、かなり負担は減ることになった。

しかし、それにしても多くの方がインタビューに答えてくれ、また、歴史に証言を残そうという意識が見られたのはとてもうれしいことであった。もちろん、人によっては自分の責任ではないことを強調し、また人によっては事故を起こしたことよりも、必死になって事故の対処を頑張ったことを強調する人もいた。

私が出られないインタビューやラウンドテーブルに関しても、財団のスタッフがテープ起こしをしたり、音声ファイルを共有するなどして、できるだけワーキンググループメンバーが情報を共有し、理解を共有するように努めてくれた。おかげで遠くにいても、ともに仕事をする上では大きな支障はなかった。

【報告書の作成】

調査をしている段階は新たな発見や、これまでの報道には出てこなかったこと等、様々な驚きがあり、社会科学者としては大変興味深いことばかりで、仕事はとても楽しかった。民間事故調が明らかにしたことの一つは「最悪シナリオ」の存在であり、また、官邸内部での詳細なやり取りなど、メディアで報道されたものに限らず、かなり多くのことが明らかになったと思う。

(なお、メディアが報じた民間事故調報告書の解釈に対して、インタビューに応じてくれた下村内閣広報審議官が、メディアによる報告書の取り上げ方に違和感を持たれていて、それをツイッターで補足説明されていますので紹介しておきます。一橋大の秋山さんのツイートと一緒にまとめてあります。http://togetter.com/li/267010

ただ、報告書を作成する段階になると、本当に大変だった。プログラム・ディレクターの船橋さんがジャーナリスト出身であるということにも関係するのかもしれないが、とにかく仕事の進め方が大学の研究者が本や原稿を書くというテンポとはまるで違うものだったので、細切れに来る締め切りや、そのたびに原稿をレビューし、ワーキンググループで文章を揉み、たとえば「安全神話」という言葉一つを巡って延々と議論を続けるなど、非常に刺激的で、かつ、負荷の大きい仕事であった。

その間、私や他の仲間も自分の仕事を抱え、本務をやりながらこの報告書を作ったことは奇跡に近いのではないかと思うくらいである。ただ、それだけ大変であっても、本務を別に抱える我々が執筆作業にかかわったことは非常に重要だと思う。つまり、我々の生業は別なところにあり、財団(やそのスポンサー)に依存していないからである。実際、調査にかかる費用(に加えて私の場合は北海道からの旅費)は出たが、それで生活できるわけがなく、その意味では、この民間事故調のワーキンググループは財団に雇われたわけでもなく、福島原発事故の真相を究明しようとする仲間の思いで成り立ってきたことは自信を持って言える。

【有識者委員会とワーキンググループ】

報告書の調査、執筆に関しては、ワーキンググループが中心になって行ったが、それだけで報告書が出来上がったわけではない。その上に北澤宏一委員長率いる有識者委員会がある。先ほど、細切れの締め切りという話をしたが、二週間に一度のペースで締め切りがやってくるのは、そのたびに進捗状況を有識者委員会に報告し、議論をしていただき、そのコメントや方向性を報告書に反映するためであった。通常、こうした有識者委員会は「よきに計らえ」といったスタイルで実質的な介入を避けることが多いが、このプロジェクトの有識者委員会は非常に熱心にドラフトを読み、詳細なコメントをするだけでなく、報告書全体の章構成やメッセージのところについても多くのコメントをしていただいた。

特に私がパートリーダーを務めた第3部は、「安全神話」「国策民営」「原子力ムラ」といった批判を受けやすい概念を多用し、その定義や解釈については何度もコメントをいただき、それに対してこちらの意見も出させてもらった。大変有意義な議論だったと思う。これまでジャーナリスティックに使われていた言葉を、報告書に耐えられるだけの概念に仕上げていくという作業はことのほか大変であった。実際、それが公の批判に耐えられるだけのものになったかどうかはわからないが、かなり努力をしたつもりではある。それは実際に報告書を読んでいただき、ご評価、ご批判をいただきたいと思う。

【報告書の公表について】

報告書が2月28日に公表された段階では、私の知る限り、公表の方法についての最終的な判断はなされていなかった。その前から市販するということは交渉していたようであるが、条件が合わず、交渉は成立しなかったらしい。ただ、報告書に対する関心が非常に強く、私も2月28日の記者会見の場に顔を出したが、予想をはるかに上回る関心が寄せられていることに驚いた。

しかし、ここからがすごかった。財団のスタッフが必死になって出版社との交渉をまとめ、2月29日の段階で市販する出版社との合意を取り付け、3月11日の出版が実現することとなった。

この点に関して、無料で公開するべき、PDFにして誰でも読めるようにするべき、という意見が多数寄せられている。最終的に市販にするという判断は有識者委員会や財団で決めているものであり、ワーキンググループにはその決定権はない。ただ、我々のワーキンググループの中でも無料・有料の公開方法を巡る議論はあった。

これまで政府事故調の中間報告も東電の事故調の中間報告もウェブ上に無料で掲載されており、誰でもアクセスできるようになっている。しかし、民間事故調はそうした組織に属しているわけでもなく、故に調査や報告書の作成の費用も、すべて財団の負担で行っている。どの組織にも属さず、寄付だけで成り立っている民間事故調としては、報告書の印刷、配布に係る実費を徴収するのは、筋の悪い話ではないと思う。

ウェブの世界は確かに無料でオープンにアクセスできることが魅力であるが、それには、その報告書(ないしはウェブ上のプロダクト)の背後にあるコストや負担を無料で提供するということにも限界がある。とりわけ、寄付のみに基づき、しがらみのない調査をすることを第一の目的に掲げる民間事故調としては、他の政府事故調や国会事故調のようにコストを負担する仕組みがない。

確かに一冊1575円の本がいくら売れたといってもその収入はたかが知れている。また、財団としては印税を放棄し、出版社がこの報告書をプロモートするための資金として印税分をプールして使うということになっていると聞いている。なので、あくまでもこの報告書を市販するのは、報告書を印刷し、頒布するコストを埋め合わせるものである。

また、PDFではなく、書籍の形態で残すというのも意味があると考えている。書籍であれば、図書館にも入り、永続的に保存されることが確実となるが、この財団が今後どうなるかは私にはわからず、永続的にサーバを管理する、PDFを公開しつづけられるかどうかがわからないからである。政府や国会のような組織の下にある事故調であれば、そうした永続性を前提にPDFで公開することはできるだろうが、民間事故調はあくまでも今回の調査をするための組織であり、財団も、元々福島原発事故の調査をやることをミッションとして立ち上げられていると理解している(それは財団のトップページhttp://rebuildjpn.org/を見ても明らかだろう)。そうなると、報告書を残すというためには、書籍の形が望ましいと考えられる。

このブログの最初で述べたが、この見解はあくまでも私個人の見解であり、財団や民間事故調の意見ではない。私も最初は無料のPDFでの公開を想定していたが、財団スタッフやワーキンググループメンバーとの議論をしていく中で、上記のような見解に至ったことをやや詳しく書かせていただいた。

【最後に】

この報告書の公表をもって、民間事故調の活動はいったん終了することになるが、この事故調に関わり、一定の責任をもってワーキンググループに参加し、最終的な文責(Authorship)は有識者委員会にあるとしても、やはりこれにかかわった者としての責任はこれからもずっと残るものと考えている。

政府は事故収束宣言を出し、電力事情から原発の再稼働を進めようとする動きも始まっている。一応、形式的にはストレステストを行い、地震に対する裕度を見て判断するといった方向性が打ち出されているが、この報告書でも指摘しているように、事故の原因は地震に対する耐性にあるわけではないにもかかわらず、耐震裕度だけでストレステストを行っている点についてはどうしても合点がいかない。

私が担当した第3部でのメッセージは、事故の背景には「安全神話」に基づく安全規制ガバナンスの未熟さがあり、「国策民営」という制度に埋め込まれた無責任体制であり、「二元推進・二元審査体制」という複雑で機能しない政府の仕組みであり、「深層防護」という考え方が徹底しておらず、津波やその他の事象に対する「備え」ができていなかったことであり、「原子力ムラ」という利益共同体に対する建設的批判ができないような状況・文化の問題があった、ということである(もちろんこれだけに限らない)。

確かに発災後、電源車を増やすなど、小手先の対策は取られてきたが、それは根本的問題に一切踏み込まない対策であり、また、4月から原子力規制庁ができるが、それとて、これまでの安全規制ガバナンスの最大の弱点であった事業者との技術力の格差を埋めることにはつながらない。このような状況を改善することなく、そのまま再稼働に向かおうとしている神経は理解できない。

本来ならば、政府も東電も真摯に自らを振り返り、過ちの元がどこにあったのか、何をすれば安全に原発を動かすことができるかを真剣に考える必要がある。民間事故調の報告書では津波による全電源喪失を一つの原因としながらも、それだけが問題ではない、ということを検証し、提言している。本来ならば、この程度のことは民間事故調で作業をした我々よりも、はるかにリソースを持ち、はるかに多くの人数をかけ、はるかに情報量の多い政府や東電が自ら調査し、結論を出すべきなのである。それにもかかわらず、政府事故調も最終報告は夏までかかるとしているし、国会事故調についてもいつ報告書が出るかはわからない状態である。東電に至っては自らの責任を十分に認識しない中間報告しか出していないし、保安院にしても、自らの対応を、その組織文化に至るまで振り返って反省しようとしていない。

このような中で、民間事故調が報告書を出し、問題の根源を直接的な原因だけでなく、中間因・遠因に至るまでカバーし分析したことの意義は、手前味噌だが、大きいと思う。確かに、突貫工事でやった仕事であるだけに、十分カバーできていないこともあるし、東電や保安院をはじめ、十分に資料を発掘して、徹底した調査ができたわけでもない。それらについての批判は甘んじて受けるしかない。また、「お前のような原子力の専門家ではない人間がやった調査など無意味だ」と言われれば、それは「しがらみのない」調査検証をするための代償として考えるしかない。とはいえ、専門家が見ても十分批判に耐えられる検証はしてきたと自負しているが。

しかし、この民間事故調の報告書を作り、日本の原子力行政のあり方に一石を投じ、二度と同じような過ちを犯さないようにするためにはどうすればよいのか、ということを真剣に考え、議論し、厳しい日程と条件の中で報告書を書き上げた仲間たちの思いは、どうかきちんと受け止めてほしい。そして、この報告書が、これまで「安全神話」を作り、またそれを受け入れ、そして原子力の安全に十分な努力を払ってこなかったすべての人たちに届き、二度と同じ過ちを繰り返さないためにどうすればよいのかを考えるきっかけになってもらえば、報告書に一端の責任を持つ者として、これ以上望むことはない。

私にとっての3.11

あと数日で東日本大震災から一年。振り返れば、この一年は私にとっても大きな変化の年であった。中でも財団法人日本再建イニシアチブ(以下、財団)の福島原発事故独立検証委員会(以下、民間事故調)の作業部会(ワーキンググループ:WG)に参加したことは大きな変化であった。

ちょうど一週間前に民間事故調の報告書が公表され、メディアでも大きく取り上げられ、市販されることとなった報告書の予約注文も予想を超えるものとなっており、報告書の執筆にかかわったものとしてはうれしい限りだが、同時に様々な批判も寄せられている。

それらを踏まえて、私自身が何を考え、どのように民間事故調の調査にかかわったのかを記しておきたい。とりあえず、ここでは、一年前の3月11日から民間事故調のお誘いを受けるまでのところを記し、民間事故調に参加してからの分は別のブログ記事として書いておく。

【3月11日:その日】

ちょうど1年前の3月11日、私は国際問題研究所が主催するシンポジウムで報告するため、東京都内のホテルの会議場にいた。そのシンポジウムが始まってほどなく、あの大地震が建物を揺らした。さすがにホテルの地下の会議場であったため、被害らしいものはなかったが、ガラスが割れるなどの危険があるため、シンポジウムは私の出番が来る前に中止となり、その場で解散することとなった。

かなり堅牢な建物の地下にいたこともあり、地震の大きさを感じることはあっても、その被害がどの程度のものになるのかは予想がつかなかった。シンポジウムが中止になったため、時間を持て余した私を含む出席者は控室でインターネット経由での情報収集をしながら、呑気におしゃべりをしていた。発災直後はネット上に流れてくる情報も限られており、何が起こっているか、正確なところは理解できなかった。

その後、控室を出てみると、大勢の人がホテルのロビーに集まり、タクシー乗り場には長い列ができていた。鉄道も地下鉄もすべて止まっており、再開の見込みは立っていないということで、多くの人が車や徒歩で帰ろうとしていたが、ホテルにとどまる人も多かった。

この時、初めてテレビを見て、事態の深刻さに気が付いた。あまりのショックに1-2時間はテレビの前を離れることができなかった。人間の作った文明や技術をあざ笑うかのように津波がすべてを乗り越え、すべてを飲み込んでいった。私たちが呑気におしゃべりをしている間に世界が変わってしまったような気がした。

【阪神淡路大震災の経験】

震災の被害をテレビで見るにつれ、いやでも思い出されたのが阪神淡路大震災の記憶であった。私はあの時大学院生で、京都の公立高校で宿直のバイトをやっていたのだが、京都でも震度5であり、強烈な揺れを経験した。そのあと、テレビでゲームのスコアが上がっていくように死傷者の数が表示され、何もできない自分の無力さを感じていた。当時、友人も多く神戸周辺に住んでいたこともあり、発災から3日後には西宮北口まで鉄道が通るようになったので、京都から支援物資をもってボランティアらしきものをやっていた。あの時に見た、崩壊した建物やその下敷きになったご遺体のことが思い出され、胸が苦しくなった。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、直接被害にあう場所にいたわけではないが、その揺れを感じ、恐怖と悲しみを想像できるくらいの距離にいたことになる。といっても、実際の被害にあった人達と比べられるわけもなく、その中途半端さがもやもやした気持ちを残すという点で、阪神淡路大震災と東日本大震災の経験が重なったというだけである。

【3月12日:原発事故】

翌日の3月12日は東京大学での国際ワークショップの予定が入っていたが、あれだけの震災の後に開催されるかどうかわからなかった。それでもとりあえず行ってみると、外国からのゲストも来ており、ワークショップは開催されることとなった。しかし、朝から菅首相が福島第一原発に行くなど、原発の問題が抜き差しならない状況になっていると思い、ワークショップの最中もスマホをいじりながら限られた情報を得ようとしていた。しかし、首相が出ていくほどの事態であるにも関わらず、ほとんど情報が出てこないことにイライラしていた。そのワークショップが終わるころ、枝野官房長官による「爆発的事象」という記者会見があり、原発事故が深刻なものだという認識はあった。

しかし、私は原子力の専門でもなんでもなく、何が起こっているのかを理解することは難しかった。テレビに出てくる解説者や官邸、保安院、東電などの記者会見を見ていても、さっぱり要領を得なかった。明らかに危機時におけるコミュニケーションが破たんしていると感じざるを得なかった。

【翌週:パリ出張】

福島第一原発の1、3、4号機で水素爆発が起き、大量の放射性物質がまき散らされている中、3月17日からフランスに出張に行った。その出張中にフランス首相府での会議に招かれ報告をすることになっていたが、首相府の建物の中にあるモニターがすべてNHK Worldを流しており、外国でも福島原発事故に対する関心が強く、その行く末に注目していた。日本にいると、そんなことは感じなかったが、地震・津波だけならローカルな災害であっただろうが、原発事故はグローバルな災害であるということを強く認識した。

また、パリでは、原発の問題についてあれこれと聞かれることが多かった。これまで科学技術政策をやっているとは言っても、宇宙政策が中心であり、原子力については科技庁(文科省)と通産省(経産省)が絡む「Big Science」として比較できる対象であったので、その範囲で勉強はしてきたが、さすがに今回の事故がなぜ起こり、どうなっていくのかは見当がつかなかった。

【3月中に考えたこと】

そんな中で、仮にも科学技術政策を研究対象とし、日本の科学技術行政について批判的に考え、提言をするべき立場にある自分が、この原発事故について、全く何もやってこなかったこと、全く何も具体的な提案をしてきていないことを強く意識させられた。もちろん、私もスーパーマンではないので、あらゆることについて提言するわけでも、きちんと分析できるわけでもない。しかし、宇宙政策の問題に取り組んでいた時に感じた「当事者による利益共同体」、いわゆる「宇宙ムラ」のようなものは、原子力ではより強く存在し、「原子力ムラ」が成立していることは明らかであった。だとすれば、私が宇宙政策に取り組んだ時の経験、つまり、複雑で高度な技術分野であるがゆえに、技術者がヘゲモニーを握り、そこにメーカーや産業界、官僚機構が絡み合っている状況を分析し、理解してきたことは、この原発事故を分析する上でも役に立つのではないかと考えるようになった。

とはいえ、自分一人で何かをやりだすのは難しい。原子力関係の知人がいないわけではないが、彼らはすでに事故対応で手いっぱいである。自分で勉強することはある程度できても、それが具体的な問題設定となり、政策を変えていくところまでに昇華させるためには、技術的な問題や法制度的な問題を含め、多くの人との議論を重ね、「建設的批判」として認知される水準となる研究成果を出さなければならない。そのための手段もネットワークもない中で、たまたま声をかけられたのが、民間事故調での調査であった。(続く)

2012年3月2日金曜日

人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム二日目のメモ

昨日から続く「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」のメモです。昨日のブログではきちんと説明していませんでしたが、私はこのシンポジウムの実行委員をやっているので、そのために取っているメモをツイッターでオンタイム・ブロードキャストしようと思っていたのですが、会場にwifiが飛んでいなかったので、こうやってまとめてメモにしています。

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二日目の最初のスピーカーは欧州宇宙機関(ESA)の宇宙監視及び追跡マネージャーのエメット・フレッチャー氏。ESAは設立当初からデブリの発生を避けるための規則を適用してきた。しかし、欧州の活動として注目するのは、EUが提案したCode of Conduct(CoC:「行動規範」)がある。これは現在、アメリカが提唱しているInternational Codeof Conduct(国際行動規範)の基礎となっている。欧州のレーダー、光学センサーは各国が整備したものであり、ESAとして持っているわけではない。そのため、ESAは2008年11月の閣僚理事会で汎欧州SSAプログラムを決定した。ここでは、欧州「独自(Independent)」のSSA能力を構築することが定められた。今年の11月により詳細なSSA戦略を採択するため、現在調整中。ESAはISO(国際標準化機関)、CCSDS、ECSSといった国際的、地域的団体を使って、センサーデータやカタログの標準化を進めようとしている。こうした動きとともにアメリカとの協力を進めている。Exchange of services, exchange of inputs, interoperabilityのルール作りを進めている。

(鈴木:SSAにおいても、ESAと加盟国の間の調整が難しく、加盟国が求めているものとESAが求めているものが異なる。それは軍と民が求めるものが違う、ということに起因す

る。また、欧州「独自」を強調するのも面白い。外国(特にアメリカ)の言うなりになるのではなく、自分たちで必要なデータを取得、分析できるようになったうえで、国際協力を行うという考え方に基づいている。)

(鈴木:ESAはISOなどを通じて、データの標準化を進めようとしており、アメリカに後れを取りながらも、この分野での国際協力枠組みのリーダーシップを握ろうとしている。技術や設備で優位に立つのではなく、ルールやスタンダードで優位に立とうとする姿勢は、私がこれまで論じてきた「規制帝国」の考え方と全く同じ。しかも、欧州域内での調整を進め、足元を固めてからアメリカと交渉するという、そつのなさを感じる。)

次のスピーカーはフランス国立宇宙研究センター(CNES)のフェルナン・アルビー氏。デブリの追跡に関しては欧州で一番の専門家。フランスは空軍がDetection(監視・発見)、CNESがPrediction(解析・予測)を行い、空軍と国防省がMeasurement(実測)を行う。CNESは軍とCivilianの両方の性格を持っているので軍民の協力はスムーズ。常に13-18の衛星を監視し、2011年には122のリスク件数があり、15件のデブリ回避行動がとられた。デブリ対策を今から始めたとしても、すでに軌道上に衛星があり、これらはきちんと対策が取られていない。ゆえに、デブリ低減の努力も10年間は古い衛星の面倒を見なければならない。

(鈴木:やはりリアルなニーズがあるところは、自らSSAをやる必要があると認識し、そのための投資と仕組みづくりをする。日本がこれまでSSAをやってこなかったのは、逆に言えば、宇宙にリアルなニーズを感じていなかった、ということだろう。)

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二日目午前の後半は日本のスピーカー。最初は日本宇宙フォーラムの吉冨さんとJAXAの成田さん。吉冨さんは日本宇宙フォーラムが持つデブリ観測施設の紹介。日本のレーダー観測施設は1350kmのレンジで1mの物体を認識できる設備。最初から高い水準の物ではなく、パイロットプロジェクトとして建設されたという経緯がある。

(鈴木:日本宇宙フォーラムは、このシンポジウムの主催者で吉冨さんは事務局長的な役割をしていて忙しいのに、スピーカーをやっているので大変そうだ。日本宇宙フォーラムはJAXA・文科省が所管する財団法人だが、この日本宇宙フォーラムの下に日本スペースガード財団という組織があり、ここが上齋ヶ原のレーダー観測施設、美星の光学観測施設を運営している。元々は地球近傍の小惑星などを観測することが目的であり、最初のパイロットプロジェクトとして導入されたため、観測精度は低く、SSAの能力としては低い。施設を紹介するときに、ちょっと悲しいのは、常に「予算の関係で」と言い訳しなければいけないこと。それにしても「スペースガード」という仰々しい名前にしては施設がしょぼい。)

成田さんはJAXAのSSA活動の紹介。日本から観測できるのは東経68度から200度まで。500程度のデブリを定期的に観測できている。JAXAのデブリ分析は、JAXAが運用している衛星を基準に、その衛星に近づくデブリを観測するという方法で整理している。アメリカがやっているようなモデルを構築して分析するということではない。各国のデブリ監視の担当者とデータを交換して、データの確認をしている。衛星を基準にみているので、デブリがどう動いているかが見えておらず、その分析ができないことが課題。2011年は100回のアラートが出て、30回くらいの接近があり、2回デブリ回避の運用を行った。JAXAは独自のデブリ低減ガイドラインをもち、国際的なガイドラインと合わせて運用している。

(鈴木:日本の場合、やはりSSA能力が限られているため、自分たちが軌道を知っている衛星に焦点を当てて、その近傍のデブリを見ているので、どうしても国際的なコンテキストからは外れている印象がぬぐえない。自分のことだけをやるというのは最低限のことだが、それ以上のことが求められているのが現状なので、それにどう対応していくのか、ということがこれからの課題だろう。)

スカパーJSATの篠塚さん:数年前からCSM(Conjunction Summary Message)データを受けるようになり、年に3-4件のアラートを受けることになったので驚いている。放送通信衛星は静止軌道に位置しているので、デブリの心配はないと考えていたが、アラートを受けているので、認識を変えているところ。スカパーJSATは15機の衛星を運用している。静止軌道は抵抗がないため、デブリが発生するとそれが自然落下していかないので、デブリが生まれると軌道が「汚染される」。CSMは46の連絡があり、そのうち12は管理された物体。34の連絡がある(複数衛星を運用しているので、同じデブリで複数の通報が来る)。きちんとDeorbit(軌道離脱)をせず、ドリフトしている衛星がデブリとして接近してくるケースが多い。無責任に運用を終了した衛星があると、繰り返しその衛星に悩まされることになる。静止軌道は軌道位置(経度上の位置)によってデブリのリスクが変わってくる。また、ロケットの残骸などは楕円軌道を描いて動くため、比較的短い周期(数時間単位)で静止軌道に接近してくる。高い頻度で接近してくるため、リスクの高いデブリの場合、運用が難しくなる。民間企業であるスカパーJSATが他の国の軍事衛星と運用上の問題が発生した場合、政府(総務省・外務省)を経由して調整しようとしたが、軍が相手の場合、きちんと対話することが難しく、運用を調整する仕組みが存在していない。静止軌道も軌道修正する必要があるため、東西軌道制御をするスケジュールをずらすことで、物体の接近を回避することができる。その意味で、きちんと情報が集まっていれば、負担を大きくすることなくデブリ回避をすることができる。

(鈴木:静止軌道のデブリ回避問題については、あまり事例がないため、なかなか面白い報告であった。静止軌道の問題は、数年前に起こったIntelsatの衛星がコントロールを失った件があるが、この事件をきっかけに静止軌道での民間企業の情報共有が進んでいる。スカパーJSATもきっとこれがきっかけでCSMを受け取ることになったものと思われる。いずれにしても静止軌道でもデブリが問題になっているというのは大変興味深い。特にこの軌道は民間企業が多いので、グローバルなガバナンスにおける官民協力が不可欠なだけに、新しいガバナンスの仕組みが生まれてくるのかもしれない。)

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二日目の午後はIAASS(国際宇宙安全推進協会)のアレックス・スーンス氏。1996年から2006年までのデブリ発生の傾向は、それ以前に比べ、非常に落ち着いてきたのに、2007年の中国による衛星破壊実験および2009年のコスモスとイリジウムの衝突によって急激にデブリが増加した。デブリが増えるとケスラー・シンドロームというデブリが他の衛星やデブリにぶつかってどんどん数が増えていく現象が起き、そのため近年に入ってデブリの衝突や衛星同士の衝突が増えてきている。低軌道には2600の使われていない衛星が存在しており、衝突のリスクは大きい。小さなデブリの除去はコストと効果のバランスが悪い。除去するなら大きなデブリを中心とすべきだ。ランデブー技術はすでにあるので、デブリ除去は技術的に可能。しかし、デブリを除去しようとして動かすことで、他の衛星にぶつかる可能性もあり、デブリ除去がデブリを増やすという皮肉な結果をもたらす可能性もある。「何がデブリなのか」という定義も難しく、またそのデブリの所有権を持つ国が「デブリでない」と責任を逃れるために言い続ければ、デブリとして処理することが難しくなる。デブリを作り出した国が責任を持つ、という形にすれば、当然、こうした問題は起こってくる。また、打ち上げ国、宇宙物体として登録した国、衛星の運用国が違う場合などは、誰が責任を持つのかという条約上の問題も出てくる。

(鈴木:デブリ除去は、活動中の衛星を無力化する技術でもあるため、それを法的、政治的に制御するのは難しい、という点が十分議論されていなかったような気がする。本質的な問題はそこにあるのに・・・)

(鈴木:IAASSは宇宙空間の安全確保や持続的利用について活動している民間団体で、宇宙デブリ問題については長らく取り組んできた組織です。ここでは、デブリ除去技術の研究や法的・経済的・政治的側面の低減をしています。)

(鈴木:本来20分の割り当てで、スタッフが時間が終わったとサインを出しても、それを無視して20分も話し続けるという神経の太い方だった・・・。運営側としてはこういうのが一番困る・・・)

次はアメリカのSecure World Foundation(SWF)のヴィクトリア・サムソン氏。ランデブー技術は重要な技術だが、その技術が持っているリスクも考えなければならない。SWFはこれまでランデブー技術の技術的、法的、政治的側面での対話を続けてきた。そのためには、SSAの協力枠組みが必要。特に非軍事のSSAユーザーが増えていることから、SWFは独自でグローバルSSAデータベースを構築し、各国との協力を呼び掛けている。また、民間衛星オペレーターの組織である宇宙データ協会(SDA)の設立にも協力している。

(鈴木:このSecure World Foundationは個人の基金で設立されているシンクタンクで、宇宙の持続的利用を中心に研究、提言をしている。実は私はこの財団の諮問委員(Advisory member)で、この財団のスタッフや活動はずっと見てきている。国連の会議でも招かれて、非国家メンバーとして議論にも参加する組織なので、実力のある組織。ただ、何分所帯が小さいので、なかなか思い通りに活動できていないのが課題。)

(鈴木:グローバルSSAデータベースは、公的に使えるデータに基づき、民間のオペレーターや天文台のデータなどを使いながら作り上げたデータベース。)

最後のスピーカーは欧州宇宙政策研究所のヤナ・ロビンソン氏。宇宙空間の持続的利用については、これまで様々な国際的提案がなされてきたが、トップダウンの提案(政府が主導する提案)とボトムアップの提案(現場や個人のレベルから上がってきた提案)がある。宇宙活動に関与する主体は政府であれ、民間であれ、自発的にデータ共有しなければ宇宙空間の持続的利用はできない。透明性と信頼醸成措置(TCBM)がカギとなる。デブリ除去のためのランデブー技術は宇宙兵器にもなりうる。それを避けるためにはTCBMが存在し、誤解が起きないようにすることがカギ。しかし、TCBMは国際的なオープンな場で議論することが難しい。各国の利害が対立する機会が多くなってしまう。信頼関係を構築するためにも、ホットラインや対話のしくみを制度化することが必要だ。デブリ低減活動は、まだベストプラクティスが実践されていない。信頼関係を作ることに

ためらう国もあるが、TCBMの必要性がなくなるわけではない。

(鈴木:この欧州宇宙政策研究所も設立された時からお付き合いがあり、この研究所の外部研究者ネットワークのメンバー。このスピーチは組織としての意見ではなく、研究者としての彼女の意見。)

(鈴木:彼女の議論は何回も聞いているが、日本での議論の中で最も欠けている論点を提示してくれたので非常に良かったと思う。ただ、残念ながら時間が足りず、駆け足になってしまったことがもったいない。)

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パネルディスカッション:
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本のSSAの能力を他の国の観測能力と比較して日本の能力に限界があるという説明。日本は将来的にはデブリの回収などで貢献できるが、直近の課題はSSAの能力を高めること。現在、1m以下のレーダーの改修を検討しているが、それだけでは不十分。人材の育成など、やらなければいけないことがたくさんある。

マッキニー氏(国防総省):日本に求めるのはレーダーのサイズではなく、地理的な場所として東アジアで観測してもらうということ、様々なリソースを提供してくれることである。また、新たなデブリを作り出さないということも大事だ。

吉冨氏:地図で見るとユーラシア大陸のアジア側は全くカバーされていない。なので、日本がSSA能力を提供して、情報共有できるような状態になることが望ましいということは重要なポイントである。ヨーロッパはどういう状況なのか。

フレッチャー氏(ESA):衝突予測に必要なシステムを構築することを目指している。しかし、どれだけ効果的なシステムを作るのか、という問題と、どこまで幅広く観測するのかという問題はトレードオフの関係にある。SSAの目的は衛星を守ることであり、そうならないようにするためには効果的なシステムを作ることが重要だ。

アルビー氏(CNES):デブリの数から考えれば、大量のアラートを受けることになるだろう。そのためにも精度の高い観測能力が必要であり、不要なアラートを減らす必要がある。

堀川氏(JAXA/UNCOPUOS):JAXAでは宇宙ステーションを担当したが、その時デブリ対策をやった。1cmのデブリと衝突しても大丈夫なようにはしたが、確率的に10cm以下のもの(地上からとらえることはできない)が当たらない、という前提で考えていたが、そのリスクは思ったよりも高いのではないかと考えるようになった。

マッキニー氏(国防総省):1961年にSSAを始めたが、それから改良を重ねている。より高い精度を得るためにSバンドのレーダーを使うことを予定している。

吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本が国際的な枠組みのなかでどう位置づけられるか、ということが問題となってきている。JAXA法も改正により、JAXAも積極的にかかわれるようになってきた。これは人類共通の利益だ。日本はこれまで厳密な平和利用を進めてきたため、出遅れてきた。日本は何に気を付けていけばよいのか、パネリストに聞きたい。

ローズ氏(国務省):この分野で日本とできることはいろいろとある。宇宙基本法ができたことで、アメリカは日本との対話を2010年から強化した。閣僚レベルでの宇宙安全保障フォーラムができるようになった。TCBMやSSAの側面で協力することを議論している。実践的な協力ができるようになった。SSAでの協力が重要だ。

マッキニー(国防総省):最も重要な問題はデータポリシーだ。どうやってデータを共有するか、誰がどのようなデータにアクセスできるか、アメリカでもNASAと国防総省は異なる機関であり、常に対話しながら調整している。データポリシーと対話だ。

ローズ氏(国務省):アメリカは2010年に国家宇宙政策を出したが、これは「全政府アプローチ」で作った。国防総省もNASAも他の機関も参加している。現代は軍民の区別が難しくなってきている。ゆえにWhole of governmentアプローチをとり、縦割り(Stovepipe)を越えなければならない。それによって効果的な宇宙政策ができる。

マッキニー氏(国防総省):GPSは軍のシステムだが、PNT調整委員会があり、民生機関も一緒になって政府内でWhole of government approachで対応している。軍民両用技術はそういうやり方しかない。

堀川氏(JAXA):軍民両用の間のデータポリシーの問題は、どういう線引きをするかが難しい。対話をするのが当然だが、どこで線引きをしているのか聞きたい。

フレッチャー氏(ESA):ESAも平和的利用原則があるが、ガリレオ(欧州版GPS)やGMES(Global Monitoring for Environment and Security)などで軍民両用分野に踏み込んでいる。SSAも軍民両用だ。ESAは軍事目的の衛星は持っていないが、加盟国は持っている。なので、ESAと加盟国の間で対話をして、透明性を高めて運用するようにしている。

ヴィルト氏(DLR):ドイツはESA、EU、ドイツの間で宇宙関連予算を分けている。ドイツは最大の財政貢献をESAにしている。ドイツから見るとESAは技術開発機関であり、EUはサービスを提供する機関であり、ドイツのDLRは研究開発をしてESAにインプットする活動をする。ドイツのレーダー(TIRA)は欧州最大だが、これは国の施設ではなく、研究機関の設備である。しかし、政府や欧州のリクエストにこたえる活動をしてもらうために、政府からの資金拠出をしている。

ローズ氏(国務省):2010年、議会は国防長官にSSA協力協定を結ぶ権限を与えた。アメリカとフランスでこの協定が結ばれた(他にもカナダとの協定が結ばれた)。これは政治的な協定であり、具体的なプログラムではないが、これから技術的な詳細を詰めるための政治的な枠組みである。

マッキニー氏(国防総省):政治的な協力がなければ、SSAの技術的な協力はできない。これは技術的な問題だけではない。

ローズ氏(国務省):同時に米軍戦略空軍が積極的に国際協力に関わっていることは重要である。これも戦略空軍のリーダーシップが効いている。

アルビー氏(CNES):アメリカとの協力は、ロシアのフォボス・グラントの再突入の追跡で初めて活用したが、データ共有の重要性が認識できた。一国だけ、ヨーロッパだけだと軌道の一部しか見えない。地理的に広がった観測施設が必要だ。そのためにも国際協力が必要だ。

山川氏(戦略本部事務局):新しい宇宙政策体制が早ければ4月にできる。2008年の宇宙基本法に安全保障は組み込まれていて、今回の改正で宇宙基本法に合わせてJAXA法を改正するが、現時点でJAXAが何か防衛の仕事をしているわけではない。日本はロケットを打ち上げるときも、JAXA、米国との調整をし、衛星を上げるときも電波の干渉を避けるために国際的な調整を行う。それと同じ意味でSSAにかかわる意味がある。日本の地理的な意味の重要性も理解している。

しかし、日本の予算が限られており、デブリの対策にどの程度予算をかけられるのか、ということを考えなければならない。そのためにも国際協力、対話が重要。こうした対話については測位衛星の会合などでも実体験しており、顔を合わせて信頼関係を築くことは大事だと思う。

欧州の例に見るように、軍民の協力をするうえで、やはりデータ共有、データポリシーが大事。それを考えたうえでハードウェアの仕様を考える必要がある。

吉冨氏(日本宇宙フォーラム):TCBMが大事なのはわかるが、アジアには中国やインド、その他いろいろな国で衛星を持ち始めているが、日本がアジアの国々とどう付き合えばよいのか?

ローズ氏(国務省):アメリカから見れば日本は重要な同盟国。また日本は宇宙活動、TCBMでも共有する価値を持っている。日本は独自にアジアの国々と関係を作ってきた。

その関係を使ってアジアの国々とTCBMについて議論をする機会を作ってほしい。新興国に関与することは非常に重要である。彼らが責任を持った宇宙利用をすることが大事なポイントだ。その意味でも日本がこれらの国々との関係で重要な役割を果たせると思う。

堀川氏(JAXA/COPUOS):国際協力というのはギブ・アンド・テイクだと考えてきたが、近年、いろんな国が技術を持つようになった中で、SSAだけでなく、お互いにどのような宇宙政策をやろうとしているのか、どのような技術水準にあるのか、どのような設備を持っているのか、ということを踏まえ、どのように情報交換をするのかというところまで考えて関係を作ることになっている。その意味でも信頼感がなければならない。その信頼感を作るための努力としてAPRSAF(Asia-Pacific Regional Space Agency Forum)があるが、まだSSAや宇宙の持続的利用という話はできていない。ラテンアメリカ、アフリカでも地域での活動が進められている。そうした地域協力の結節点としてUNCOPUOS(国連宇宙空間平和利用委員会)がある。そういう関係づくりを支援していきたい。

吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本から見ると、欧州は規模も性格も似ている。その観点からコメントを。

フレッチャー氏(ESA):確かにデータ共有などはチャレンジングな問題だが、技術的な問題を解決することも難しい課題。欧州は複数の国が集まっているので、Work togetherするだけでも大変。各国が異なる要求や要望があり、技術レベルの違いや予算の違い、政策目的の違いなどがあり、調整することは大変困難であるが、それをやるのがESAの役目。

ヴィルト氏(DLR):技術者たちにもルールやガイドライン、スタンダードなど、単なる技術だけではない、政治、経済、法律といった問題に対する意識を高めるように努力している。技術開発や品質向上をするためにも、こうしたルールや法制度などにのっとって進めていくことが大事だ。

アルビー氏(CNES):欧州はそれほど複雑ではない。いくつかのプログラムは国家でやり、国家でできない規模の物はESAでやる。

山川氏(戦略本部事務局長):日本は国際協力をしなければいけない国である。SSAは民でも軍でもない。宇宙全体の問題である。そういう認識を持つようになった。アジアでの役割は「一緒にやっていく」部分と「競争する」部分があるが、デブリの問題だけでなく、様々な衛星システムの問題と関連してアジアでのリーダーシップを発揮する必要がある。

吉冨氏:こういうテーマがようやっと日本でもできるようになった。これをきっかけに日本の役割を高めて行きたいと考える。

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以上、「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」のメモでした。

2012年3月1日木曜日

人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム初日のメモ

本日、品川で行われた人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウムの内容をツイートしていたのですが、量が多くなるのと、関心のない人にまでツイートが配信されてしまうので、ブログにまとめることにしました。ツイート用に細切れの文章になっていますが、ご容赦ください。なお、シンポジウムのプログラム、講演者については、 http://www.jsforum.or.jp/debrisympo/program/index.htmlをご参照ください。

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会場にWi-fiが飛んでいないので、まとめて人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションのメモをツイートします。

人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッション。今年の6月から国連宇宙空間平和利用委員会の本会議議長をやるJAXAの堀川さんが発言。国連の

宇宙活動の長期持続性ワーキンググループを紹介。なぜ日本人が報告すると形式的な話ばかりでつまらないのだろう?

形式的な話はホームページでも見ればわかることであって、わざわざ集まってくれた人の前で偉そうに話すことではないと思うのだが…。せっかく人が集まったのであれば、

単なる情報ではなく、もっと踏み込んだ分析や議論をするべきなのではないだろうか?

米国陸軍宇宙統合機能部隊副司令官のカート・ストーリー准将。宇宙資産(衛星など)は高価であり、重要であるがゆえに守らなければならないことを強調。同時にSSAのデー

タを共有することで宇宙空間の持続可能性を高めることを使命とすると発言。自らの利益を守るために地球益に貢献するという論理。

Joint Space Operation Center (JSpOC)では軍のデブリ情報だけでなく、民間企業などが持つデータなども統合したJoint Mission System(JSM)を構築し、精度の高いデー

タを提供していると説明。米軍が国際的な官民協力のハブになっている。

米軍宇宙戦略軍のデュアン・バード少佐。突如、演壇を降りて聴衆の中に入ってオーディエンスに「なぜこのシンポジウムに来たのか」を聞き出している。なんだかアメリカ

のトークショーを見ているようだ。日本人のオーディエンスも頑張って英語でしゃべってる。なぜか企業から来た人が多い。

米軍でもまだ数千の宇宙デブリをカタログできていない(誰が生み出したデブリかわからない)。大変危険なデブリであっても、そのデブリが「自分の物」でない場合、デブ

リの元々の所有者に断らずに除去することができるか?誰がその物体をデブリと認定するのか?

デブリ除去の技術は衛星破壊の技術と同じであり、どうやってデブリの除去を可能にし、活動中の衛星への攻撃を不可能にさせることができるのか?今、デブリの問題を対処

しなければ、我々の子供や孫が問題に直面する。なんだか年金の話を聞いているような気がする。

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人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションの後半。NASAジョンソン宇宙センターのデブリプログラム室長のユージーン・スタンスベリーさ

ん。昨年、コントロールを失って地球に再突入したUARSの説明。

コントロールできない衛星がふらふらする中、ORSATというソフトウェアを使って再突入ポイントを解析し、デブリの落下予測をした結果、人に当たる確率は1/3200と判断した

とのこと。今後は再突入しても燃え尽きるような設計が必要との結論。

ドイツの宇宙状況認識センターのウーウェ・ヴィルト氏。ドイツのX線地球観測衛星のROSATがコントロールを失って再突入した時の説明。ドイツは軍民が連携して宇宙状況監

視をしていて、限られた予算と人材の中で効果的な対応をしようとしている。

ドイツ一国ではROSATの再突入の計算ができなかったため、欧州宇宙機関(ESA)に依頼して解析してもらったとのこと。やはりデータ共有は重要だ。軍だの民だの言ってデー

タ共有ができない日本とは大きな違いだ。

再突入の計算は衛星の軌道情報だけでなく、太陽活動や地球の大気の状況など、様々な条件を加味してモデルを作成し、再突入の予測を立てる必要がある。なんとなくSPEEDI

の話と似ているな。

元米国空軍参謀長、国防分析研究所(IDA)のラリー・ウェルチ氏。宇宙には「主権」の概念がない、故に伝統的な国際条約を適用することが難しいと発言。拙著『宇宙開発と

国際政治』の第八章で論じたことと同じ論理だが、ウェルチさんのような大御所だと説得力があるな。

宇宙の持続的利用は宇宙空間だけの話ではなく、サイバー空間の話でもある。サイバー空間が使えなければ、宇宙からの情報も無意味になる。サイバー空間の安全保障と宇宙

空間の持続的利用は連続した問題群との指摘。全くその通りだ。

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質疑応答:国務次官補代理のローズ氏。アメリカ独自の「行動規範」があるわけではない。EUが提出した「行動規範」を基礎にする。これまでEUは「行動規範」を作るプロセスが不透明だったのが問題。オープンなプロセスで国際的コンセンサスを作るのが目的。(鈴木:結局、自分が関わることなくEUが決めて、それが国際的なスタンダードになることに対する不満がアメリカだけでなく、インドやブラジルなども含めてあるのだ、ということが良くわかる回答だった)

同じくローズ氏:透明性、信頼醸成措置(TCBM)として重要なのは宇宙安全保障の対話を進めること。TCBMで重要なのは誤解を少なくすること。重要なのは中国との対話。2007年に中国が行った衛星破壊で生まれたデブリが中国の衛星にぶつかる予測が出たとき、アメリカは中国に警報を出した。中国は自分の行為の報いを受けるべきだが、その結果生まれたデブリがアメリカの衛星にぶつかるリスクが高まる。だから、中国に警報を出した。(鈴木:中国との関係でアメリカが情報を持っているから中国にお仕置きできたのに、それをやると自分に影響があるからできない、という話は面白い。アメリカが情報や宇宙技術で圧倒的な優位性があっても、宇宙空間ではそれが権力として機能しない、ということを意味する回答だった)

米国国防総省のフィンチ氏:日本に期待することとして、新しいデブリを出さないことは当然だが、日本が独自の宇宙状況監視(SSA)能力を強化すること、そのデータを共有することを期待する。デブリ除去の研究開発でも協力してほしい。(鈴木:ある意味、予想通りの回答。これ以上のことで何かできないのだろうか。まだ日本がやるべきことがありそうな気がする)

同じくフィンチ氏:大学などの小型衛星もきちんと国際的なデブリ低減ガイドラインに従って、寿命が終わるときにデブリにならないような運用をしてほしい。

米国戦略空軍のバード氏:中国の認識をどう変えるか。中国の認識を変えるためにできることは限られている。とにかく対話を続けるしかない。彼らが対話に応じるまで辛抱強く待つしかない。中国は自らの衛星破壊実験からいろいろと学んでいるはずだ。だから、対話することの必要性をそのうち理解するはずと考えている。(鈴木:なかなか正直で、ストレートな回答だった。国際的なコンセンサスを作る難しさが実感できる)

また、明日、二日目の内容をブログに掲載する予定です。

2012年2月5日日曜日

「はやぶさ神話」の誤謬

最近、忙しくてブログの更新を怠けていましたが、ちょっと気になることがあったので雑文を書きます。

今朝の朝日新聞の「天声人語」で「はやぶさ2」が取り上げられていました。ウェブに掲載されているとはいえ、著作物なので、最低限の引用に限って使わせてもらおうと思います。

この記事の基本的なメッセージは以下のとおりである。

準備中の「はやぶさ2」は、先代の経験を生かし、生命の起源に迫る試料を持ち帰る計画だ。税金は地上で使え、との異論もあろうが、成功すれば無上の共有資産となる。苦難に押し潰されそうな時、国中で見直せる「試合」はそうない。(出典はこちらだが、URLは変更されるとみられる)
2010年に地球に帰還した「はやぶさ」は世界を感動させ、3本も同時に映画化されるといった、国民的に共有される感動の物語となり、久しく途絶えていた「国民の一体感」のようなものを感じさせる快挙であったことは間違いない。

しかし、「天声人語」が述べる「はやぶさ2」への期待は大きな誤解に基づくものであり、思考の危うさを感じさせるものであった。

というのも、この「天声人語」の執筆者は、「はやぶさ2」があくまでも初代「はやぶさ」が経験した苦難と、紙一重のギリギリのところで成功したという体験を改めて繰り返すことを期待しているからである。

こうした初代「はやぶさ」が映画化されるほどの感動を巻き起こした「神話」を作り出した要素を分解してみよう。


  1. 「はやぶさ」は世界初となる小惑星への無人機によるサンプルリターンにチャレンジし、成功した(しかし、サンプルの量は極めて限られていて完璧ではなかった)
  2. 「はやぶさ」は予期せぬ工学的なトラブルに見舞われたが、ギリギリのところで冗長系が生き残り、何とか帰還した
  3. 本来、冗長系として設計していなかったものまでを駆使して、創造性あふれる問題解決手段を提供し、絶体絶命の状況から回復した
  4. 何度も通信が途絶え、絶望的な状況になったにも関わらず、川口先生をはじめ、チームがあきらめずに頑張った結果、地球への帰還が成功した
  5. こうしたあきらめない気持ちを奮い立たせた川口先生の卓越したリーダーシップがあった
  6. 傷つきながら、帰還しようとする「はやぶさ」を擬人化し、そのストーリーを発信したISASのチーム、そしてそれを受けた人たちがSNSなどで「はやぶさタン」といったイメージを作って拡散した
思いつくまま書いたので、まだ要素としてはいろいろありそうな気もするが、これらを一読してわかってもらえることがあると思う。それは、初代「はやぶさ」が感動を巻き起こし、「神話」となったのは、工学的に失敗し、危機的な状況に陥ったからである。つまり、本来の宇宙開発の考え方からすれば、「はやぶさ」のようなトラブルは二度と起こしてはならず、この失敗の経験を踏まえ、さらに技術的に改良し、確実にミッションを達成できる探査機を作ることである。

つまり、上記の「1.」で挙げたサンプルリターンがミッションであり、これ自体を実現することが目的であるが、「2.」以降のことは、むしろ失敗として考えるべきであり、失敗のリカバリーに驚異的な努力と奇跡を伴って成功した、というドラマなのである。

それは言い換えれば「はやぶさ2」は、より技術的に高度化し、失敗の確率が減り、ミッションを確実に成功させるための努力が打ち上げ前になされることを意味し、それがゆえに「天声人語」がいうような「試合の再現」はあってはならない、ということを意味する。

しかし、この「天声人語」では、その「試合の再現」を求めている。これは、「はやぶさ2」が初代「はやぶさ」同様、工学的な失敗をすることを期待し、その失敗を何とかリカバーするための努力をISASのチームに強いることを要求しているのである。それはおかしい。

おかしいとは思うのだが、世間における「はやぶさ」のイメージは、世界初の無人機によるサンプルリターンではなく、あの川口先生のリーダーシップであり、大気圏突入前の地球の画像であり、ボロボロになったイオンエンジンなのである。それが感動のストーリーを生み出したのだから仕方がない。

なので、はっきり言わせてもらおう。「はやぶさ神話」は工学的な失敗の産物が生み出した誤謬である。「はやぶさ」の経験は二度と繰り返してはならない。だから「はやぶさ2」に同じものを期待してはいけない。「はやぶさ2」は恐ろしく退屈で、予定通り、何のハプニングも起こらず、ミッションを達成することを期待すべきであり、そうなるだろう。そして映画化できるようなストーリーもなく、淡々と1999JU3という名もなき小惑星に到達し、サンプルを回収し、地球に帰還する。そういうミッションになるべきであるし、そうなることを期待する。

そして「天声人語」の執筆者は、「今回のはやぶさ2は試合の再現ではなかった」といって、自らの不明を反省することを期待する。